、富沢町《とみざわちょう》が」と、西宮は小声に言ッて、「それもいいさ。久しぶりで――あんまり久しぶりでもなかッた、一昨日《おととい》の今夜だッけね。それでもまア久しぶりのつもりで、おい平田、盃《さかずき》を廻したらいいだろう。おッと、お代《かわ》り目《め》だッた。おい、まだかい。酒だ、酒だ」と、次の間へかけて呼ぶ。
「もうすこし。お前さんも性急《せッかち》だことね。ついぞない。お梅どんが気が利《き》かないんだもの、加炭《つい》どいてくれりゃあいいのに」と、小万が煽《あお》ぐ懐紙の音がして、低声《こごえ》の話声《はなし》も聞えるのは、まだお熊が次の間にいると見える。
 吉里は紙巻煙草《シガー》に火を点《つ》けて西宮へ与え、「まだ何か言ッてるよ。ああ、いやだいやだ」
「またいやだいやだを始めたぜ。あの人も相変らずよく来てるじゃアないか。あんまりわれわれに負けない方だ。迷わせておいて、今さら厭だとも言えまい。うまい言の一語《ひとこと》も言ッて、ちッたあ可愛がッてやるのも功徳《くどく》になるぜ」
「止《よ》しておくんなさいよ。一人者になッたと思ッて、あんまり酷待《いじめ》ないで下さいよ」
「一
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