げるよ、献げるよ、私しゃこれでもうたくさんだ。もう思い残すこともないんだ」と、善吉は猪口を出す手が戦《ふる》えて、眼を含涙《うるま》している。
「どうなすッたんですよ。今日ッきりだとか、今日が別れだとか、そんないやなことをお言いなさらないで、末長く来て下さいよ。ね、善さん」
「え、何を言ッてるんだね。吉里さん、お前さん本気で……。ははははは。串戯《じょうだん》を言ッて、私をからか[#「からか」に傍点]ッたッて……」
「ほほほほ」と、吉里も淋《さみ》しく笑い、「今日ッきりだなんぞッて、そんなことをお言いなさらないで、これまで通り来ておくんなさいよ」
 善吉は深く息を吐《つ》いて、涙をはらはらと零《こぼ》した。吉里はじッと善吉を見つめた。
「私しゃ今日ッきり来られないんだ。吉里さん、実に今日がお別れなんです」と、善吉は猪口を一息に飲み乾し、じッとうつむいて下唇を噛んだ。
「そんなことをお言いなさッて、本統なんですか。どッか遠方《とおく》へでもおいでなさるんですか」
「なアに、遠方《とおく》へ行くんだか、どこへ行くんだか、私にも分らないんですがね……」と、またじッと考えている。
「何ですよ。
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