意地ばかりでなく、真心《しんしん》修羅《しゅら》を焚《もや》すのは遊女の常情《つね》である。吉里も善吉を冷遇《ふッ》てはいた。しかし、憎むべきところのない男である。善吉が吉里を慕う情の深かッただけ、平田という男のあッたためにうるさかッたのである。金に動く新造《しんぞ》のお熊が、善吉のために多少吉里の意に逆らッたのは、吉里をして心よりもなお強く善吉を冷遇《ふら》しめたのである。何だか知らぬけれども、いやでならなかッたのである。別離《わかれ》ということについて、吉里が深く人生の無常を感じた今、善吉の口からその言葉の繰り返されたのは、妙に胸を刺されるような心持がした。
 吉里は善吉の盃を受け、しばらく考えていたが、やがて快く飲み乾し、「善さん、御返杯ですよ」と、善吉へ猪口を与え、「お酌をさせていただきましょうね」と、箪笥を放れて酌をした。
 善吉は眼を丸くし、吉里を見つめたまま言葉も出でず、猪口を持つ手が戦《ふる》え出した。

     九

「善さん、も一つ頂戴しようじゃアありませんか」と、吉里はわざとながらにッこり笑ッた。
 善吉はしばらく言うところを知らなかッた。
「吉里さん、献《あ》
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