して頭を上げて右の手で煙管を探ッたが、あえて煙草を喫《の》もうでもなく、顔の色は沈み、眉は皺《ひそ》み、深く物を思う体《てい》である。
「ああッ、お千代に済まないなア。何と思ッてるだろう。横浜に行ッてることと思ッてるだろうなア。すき好んで名代部屋に戦《ふる》えてるたア知らなかろう。さぞ恨んでるだろうなア。店も失《な》くした、お千代も生家《さと》へ返してしまッた――可哀そうにお千代は生家へ返してしまッたんだ。おれはひどい奴だ――ひどい奴なんだ。ああ、おれは意気地がない」
上草履はまたはるかに聞え出した。梯子《はしご》を下りる音も聞えた。善吉が耳を澄ましていると、耳門《くぐり》を開ける音がして、続いて人車《くるま》の走るのも聞えた。
「はははは、去《かえ》ッた、去ッた、いよいよ去ッた。これから吉里が来るんだ。おれのほかに客はないのだし、きッとおれのところへ来るんだ。や、走り出したな。あの走ッてるのは吉里の草履の音だ。裏梯子を上ッて来る。さ、いよいよここへ来るんだ。きッとそうだ。きッとそうだ。そらこッちに駈けて来た」
善吉は今にも吉里が障子を開けて、そこに顔を出すような気がして、火鉢に手
前へ
次へ
全86ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
広津 柳浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング