も芝居好きでなく余り度々も行つて居ないが、それでも芝居の歌をいくつか詠んでゐる。これもその一つ。芝居のことに暗い私にはこの光景が何の幕切れであるか知る由もないが、見たことはあるやうだ。女のやうでもあるが、羽左衛門なら男でも当て嵌まる。雪や手や足が邪魔になるやうで邪魔にならずそれぞれの効果を挙げてゐる所が「うるさき」で表現されてゐるのである。
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殿上に鱶七も居て煙草飲むかかる世界を賞でて我|来《こ》し
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考へて見れば歌舞伎劇の世界こそ途方もない世界である。千本桜なども正にその一つであらうが、途方もない世界であることもさう云はれて見れば人はやはり忘れてゐる。事々物々作者を泣かさぬといふことのないこの世の中で、独り一番目の舞台に限り全くの別世界である。感覚の鋭い作者故にこの感も深いのであらう。
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序の曲の急なりあはれ何事にならんと涙滝のごと落つ
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さう思つて芝居には来たのに既にして大ざつまが初まれば、もう駄目である。何か非常なことの行はれる予感がして涙が滝のやうに落ちて来る。家にあつてはこんな涙は出ないのに。
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何すらん船の数ほど人居たり口野の浦の春の黄昏
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大正十一年二月畑毛から昔の馬車に乗つて静浦に出た。海岸には漁夫らしい男が一塊居た。何か初まりさうなけはひが感ぜられた。その光景が旅の心を打つたのである。
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限りなき命を持ちて居給ふと思ひしならね頼みし如し
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鴎外先生を弔ふ歌の一つ。鴎外先生は晶子さんの心から畏敬した先輩の一人であつた。従つて同先生から認められたことはどれ位嬉しいことか知れなかつた。巴里行の場合なども、偶※[#二の字点、1−2−22]満洲から出て来た私が一日夫人の行きたがつてゐる趣きを先生の耳に入れた処、先生は即座にさうだらう、行きたいだらう、宜しいそれでは俺も一つ骨を折らうと言つて三越に話されその方からも何程かの費用が出た筈である。それ位晶子さんを可愛がつてゐた先生が俄になくなられたので、その失望は大きかつたらしく、それがこの歌の「頼みし如し」によく現はれてゐる。又 何事を思ふともなき自らを見出でし暗き殯屋の隅 といふ歌もあるが、それにも同じ心が出て居る。
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夢醒めて我身滅ぶと云ふことの味ひに似るものを覚ゆる
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夢が浮世か浮世が夢か、畢竟夢の世の中に唯一つ確なことは夢の存在である。夢だけは確に夢である。その夢の醒めることは即ち我が身の滅びることでなければならない。仏教哲学的に云へばさういふ理窟にもなるが、この歌はそんなことには関係なく単に作者の瞬間的の感覚を抒したもので、私にも同じ様な醒め際があるのでよく分る。しかしその感覚の根底を為す潜在意識といふものがありとすれば前の理窟のやうなものでは無からうか。
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宮城野の焼石河原雨よ降れ乾く心はさもあらばあれ
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大正十一年十月初めて箱根仙石原に遊んで俵石閣に泊したその時の作。丁度早川の水涸れの時期であつたらしい。焼石のごろごろして居る河原は見るも惨たらしいが、それは実はわが心が同じ様に乾いてゐるので、それが反映して痛ましく感ぜられるのではないか。せめて雨が降つて河原だけでも濡らして欲しい。それを見たら私の心も少しは沾ふことだらう。といふ様な意味の歌だが、そんなことは如何でも宜しい。読者はその調子のすばらしさを味はつて生甲斐を感じて欲しい。
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水落つる中に蹄の音もして心得難き朝朗かな
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作者が単行本として出した最後の集は第十九集「心の遠景」である。この集に就いて作者はこんなことを云つてゐる。「若し私が長生するならば、斯くいふ今日の言葉に自ら冷汗を覚える日が無いとも限らないのであるが、とにかく小さい私の作物として、今日は「心の遠景」を最上の物として考へてゐるのである。」それは昭和四年の事であつたが、その後の事実は作者の予想した通りで、作者の表現法は年と共に進んで極る所がなく、「心の遠景」なども忘却の靄の中に埋没してしまふ許り影の薄い存在となつたのである。しかし今私が若い頃からの全詠草を順序を立てて見直して来てすぐ気が付いたことは、まだまだこの辺までは真の自由を得て居ないといふことである。その証拠は「太陽と薔薇」の自序にある。曰く「私は久しく歌を作つて居ながら、まだ自分の歌に満足する日が無く、絶えず不足を感じて忸怩としてゐる人間です。自分はもう歌が詠めなくなつたと悲観したり、歌と云ふものはどうして作るものであつたかと当惑したりすることが毎月幾囘あるか知れません。内から自然に湧き上る熾烈な実感の嬉しさに折々出合ふ時でさへ、それの表現に行詰つて唖に等しい苦痛の中に人知れず困り切つてゐることがあります。その難関を突破して表現の自由を得た刹那に詩人らしい自負の喜びを感じるにしても、次の刹那にはまた現在の不満を覚えて、自分の歌に対する未来の不安を抱かずにゐられません。」私などもつひこの間まで詩人としての自覚がないのでその程度は尚浅いにしても同じ悩みを持つてゐたから、その苦心の状態がよく分る。しかしその不自由もやがて完全に縄の解ける日が来て遂には昔の夢になつてしまつた。この歌などがその自由を得た日の極く初めの方を記念するものの一つであらう。思つたこと――それは摩訶不可思議な、仙人の見る夢のやうな、名状すべからざるものの影に過ぎない――がそのまま歌になつて少しの渋滞の跡も示さない、斯ういふのを表現の自由といふのであつて、作者の如き才分の豊かさを以てしてもここに達するには二十年の苦しい修練を要したのである。この作も前のと同じく俵石閣で作つたもの。その庭には池があつて山の水が落ちてゐた。下の街道には荷を著けた馬が通つてゐた。ふと目がさめて見ると不思議な音が聞こえてゐてそれは明かに東京の家ではなかつた。ここのこの感じが歌はれてゐるのである。
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上なるは能の役者の廓町落葉そこより我が庭に吹く
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これは富士見町の崖下の家の実景で、秋の終りともなれば崖上の木の葉、中でも金春舞台を囲む桐、鈴懸、銀杏、欅皆新詩社をめがけて散つたのであらう。この辺もしかし空襲ですつかり焼けてしまつたといふことである。
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手綱よく締めよ左に馬置けと馬子の訓へを我も湯に読む
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大正十二年一月天城を越えて南伊豆の初春を賞した。その時谷津温泉で作つたもの。自動車交通の開ける以前の伊豆旅行は凡て円太郎馬車か、馬の背に頼る外無かつた。従つて初めて馬に乗るものの為に乗馬の心得が浴場の壁に掛けてあつたとしても必ずしもあり得べからざる事でもない。南伊豆の狭い海岸の天城颪の吹きまくる谷津の湯の湯船の中で女の私が乗馬訓を読まうなどとは思はなかつたとをかしいのであるが、しかし如何にもよい訓へだと感心してゐる趣きも見える。
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藤原の理髪の家の前の土馬車を待つ間に夕霜の置く
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私は行つた事がないが藤原の湯とは蓮台寺温泉の事でもあらうか。今夜は下田へ行つて泊らうと宿を出て、理髪屋の前で下りの馬車を待つてゐると日が暮れかかつていつの間にか夕霜が白く置いてゐた。恐ろしく細かい観察であり、又時所位の限定でもある。さうしてそれ故に特殊の美が生ずるのである。
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山に居て港に来れば海といふ低き世界も美くしきかな
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蓮台寺から下田へ来ての感想であるが、「海といふ低き世界」は今では私共の間では熟語になつてしまつてゐる。感覚の正確妥当さを証する一例である。
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洞門と隣れる家に僧の来て鉦打ち鳴らす多比の夕暮
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静浦から韮山の方へ出るトンネルの付近は地方有数の石切り場で、いくつかの洞が出来てゐて、一寸風変りな光景を呈してゐる。そこへ念仏僧か何か来て鈴を鳴らす。日の暮の薄靄が海面を這ふといふ様な光景である。
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七月の夜能《やのう》の安宅陸奥へ判官落ちて涼風ぞ吹く
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安宅がすんだ、判官は通過した、緊迫が解けた、まあよかつた、ほつとして一息つくと、七月の夜も既に更けて涼しくなつてゐた。
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切崖の上と下とに男居てもの云ひ交はす夕月夜かな
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これも富士見町辺で見掛けられた小景を其の儘切り取つたもの、ありのすさびの一興である。
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鴬や富士の西湖の青くして百歳の人わが船を漕ぐ
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大正十二年七月夫妻は富士五湖に遊んだ。精進ホテルはあつたが外人の為に出来てゐたので、日本人の遊ぶものまだ極めて少い時代であつた。西湖なども小舟で渡つたのでこの歌がある。西湖の色は特に青くもあり、環境は一しほ幽邃で仙骨を帯びてゐる許りでなく少しく気味のわるい様相をさへ呈してゐる。そこで舟を漕ぐ船頭迄百歳の人のやうな気がするといふのであらう。
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勢ひに附かで花咲く野の百合は野の百合君は我に従へ
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文句を云はずについていらつしやいといふべき所を女詩人らしくいふと斯うなるのである。斯う云はれて見ると附いて行かざるを得ないであらう。野の百合はソロモン王の栄華を尻目にかける頑な心の持主である。
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なつかしき萩の山辺の白雲をおしろい取りて思ふ人かな
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おしろいを解きながら、唯その白いといふ色の縁だけで、白雲の飛ぶ山の景色を思ひ浮べ得るほどの人は、それだけで既に立派な女詩人である。次にこの歌に同感し得るほどの女性なら歌人になれる。この歌の分らない人は一寸難しい。
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時は午路の上には日影散り畑の土には雛罌粟の散る
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これは近代感覚を欠く人には一寸分るまい。ワン・ゴオクの向日葵に見るやうな強烈な白いほどの日光と真赤なひなげしの葩の交錯する画面で、色彩二重奏といふほどのもの。さうしてそれ以外の何物でもないから、古い歌の概念で臨んだのでは分りつこはない。
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花園は女の遊ぶ所とて我をまねばぬ一草もなし
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これは松戸の園芸学校の花畑を歌つたものである。季節は虞美人草の咲く初夏のことであつた。百花繚爛目の覚める様な花畑の中に立つた作者が自分の女であることを喜びながら一々の花に会釈し廻る趣きである。
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君亡くて悲しと云ふを少し越え苦しと云はゞ人怪しまん
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有島武郎さんの死を悼んだ歌。この両人の関係は前にも一度触れたが、晶子さんを十分に appreciate した多くない人の中で、恋人のやうな気持で近づいたのはこの人だけであつた。それだけ晶子さんには掛け替のない男友達であり、同時代人であつた。しかし如何にその死を悼む情が痛切であつても、それが同じ年頃の異性である場合、十分に心を抒べることが出来ない。それが「苦しい」のである。因にその時の挽歌を少し引かう。 書かぬ文字言はぬ言葉も相知れど如何すべきぞ住む世隔る しみじみとこの六月程物云はでやがて死別の苦に逢へるかな 信濃路の明星の湯に友待てば山風荒れて日の暮れし秋 我泣けど君が幻うち笑めり他界の人の云ひがひもなく から松の山を這ひたる亡き人の煙の末の心地する雨
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休みなく地震《なゐ》して秋の月明にあはれ燃ゆるか東京の街
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大正十二年秋の関東大震災は今日から見れば大したことでもなかつたが、戦争以前の日本人には容
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