かつたであらうし、又出来ることでもない。それを作者は敢て試みたわけで、之を読んで同感し得る人から見れば成功した作といへる。

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川上の峨峨の出湯に至ること思ひ断つべき秋風ぞ吹く
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 これは大正十三年九月陸前青根に遊んだ時の作。青根の奥深く、蔵王の麓でもあらうか峨々といふ恐ろしく熱い山の温泉のあることを聞いて少し心を動かしたが、車でなど行かれる所でもないので問題にはならなかつた。そこで罪を秋風に著せて思ひ止ることにしたのである。

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何時見てもいはけなき日の妹の顔のみ作る紅椿かな
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 作者はあらゆる花を愛し、あらゆる花を歌つてゐるが、椿も亦その最も好むものの一つであつて歌も多い。蓋しこんな所にもその所因があつたのかも知れない。この歌では何時見てもといふ句が字眼である。特殊の場合に恐らく誰にでも経験のあるらしい事だが唯気がつかないのだと思ふ。それを作者がこの椿の花の場合について代つて云つてくれたのである。

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夕暮に弱く寂しく予め夜寒を歎く山の蟋蟀
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 この歌では「予め夜寒を」が字眼で之が無ければ歌にはならない。(世間ではこの歌から予めを抜いたやうな歌を作つて歌と思つてゐるらしいが、いらぬ時間つぶしである。)初秋とはいへ山の上では夜ふけは相当寒い。それを啼き初めの弱い声をきいて蟋蟀も夜寒を感じてゐると思ふのである。

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春の夜の月の光りに漂ひて流れも来よや我が思ふ人
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 久しぶりで音楽|歌《うた》が出て来た。この歌などが日本文学中の一珠玉になつて若い人達の間に日常口誦されるやうな日が早く来ればよいと思ふ。蓋し日本抒情詩はそこから前進するであらうから。

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陸奥の白石川の洲に立ちて頼りなげなる一むら芒
[#ここで字下げ終わり]

 青根から降り来て白石川の川添ひに暫く車を走らせた時見た川の洲の芒である。当時のあくまでもさびれてゐた東北の姿がそこにもあらはれてゐるやうで頼りなげに見えたのである。

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別れつる鼠の色の外套がおほへる空の心地こそすれ
[#ここで字下げ終わり]

 今し方男に別れて来た女の心をその上にある曇り空で象徴しようとした試みであつて、別れた男の外套の鼠色が空に拡がり、それが心にうつることにしたのである。

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しめやかにリユクサンブルの夕風が旅の心を吹きし思ひ出
[#ここで字下げ終わり]

 フランスを思ひ出した歌の一つ。夫妻の巴里の宿は近代画を収めて居るリユクサンブル博物館の辺にあつたやうで、そこへは夏の日の長い巴里では夕食後に行つても尚明るく、夕風がしめやかに旅の心を吹いたのであらう。巴里に居たのは大正元年でこの歌の出来たのは十三年であるから十余年の歳月がその間に流れ、作者の歌人としての技量はぐんと進んだ。思ひ出の歌の方がすぐれてゐるのはその所である。

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もの云はじ山に向へる心地せよ君に加ふる半日の刑
[#ここで字下げ終わり]

 ものやはらかな刑であつて、作者の漸く成長したことを思はせる。紅梅どもは根こじてほふれといつた様な時代であつたらこんな事では済まされなかつたであらう。それにしても山に向へる心地せよとはうまいことをいつたものである。この歌などもその内に恋をする若い女性の常識となる日が来るであらう。又その位に日本女性の趣味教養が高まらねばだめである。

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二夜三夜ツウルの荘に寝る程に盛りとなりしコクリコの花
[#ここで字下げ終わり]

 コクリコの花とは虞美人草の俗名ででもあるらしい。作者はひなげしとちやんぽんに使つてゐる。ツウルの荘はピニヨン夫人のロアル川上の水荘である。当時の歌の ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコ我もコクリコ の大に盛なのに対し、この歌には十余年を経てすつかり落付いた作者の心境が示されてゐる。

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額髪ほほけしを撫で何となく春の小雨の降れと待たれぬ
[#ここで字下げ終わり]

 たわいない歌のやうであるが、棄て難い味なしとしない。ほほけしを撫でといふ所もよいのであらう、それが春の小雨といふ小さな期待であることもよいのであらう、何となくもよいのであらう、小さいことだがそれらが三つ重つて軽い楽しい持味を作り出すのであらうか。

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歌の本絵の本尋ね何時立たんセエヌの畔《ほとり》マロニエの下
[#ここで字下げ終わり]

 これはフランス囘顧の歌ではなく、四十になつた作者が夢に巴里に遊び、例の河岸の石垣の上に店を出した古本屋[#「本屋」に傍点]を覗き込む歌である。

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よそごとになしてその人死にぬなど話を結ぶありのすさびに
[#ここで字下げ終わり]

 短篇小説の筋でも話すやうに一くさり我がロマンスを話したがその話の真剣なのに似ず、簡単によそよそしくその人は今は死んでゐないといつて話の結末をつけてしまつた。自分でもそれが一寸面白かつたのである。

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前なるは一生よりも長き冬何をしてまし恋の傍
[#ここで字下げ終わり]

 作者この時四十八歳。尚しかし恋の傍らといへるほどの若さと戯れにダンスをさへ弄ぶ快活さとを失つてゐなかつたのである。それでゐて、私が今頃になつて漸く感じ出した冬の長さを感じて一生よりも長いやうだと云ひ現はしてゐるのには全く感心させられる。感覚の感度の相違である。しかし私の場合とは反対にこの冬は恐ろしい冬でなく楽しい冬である。さあ恋の傍ら何をしようとするのであらうか。

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足をもて一歩退き翅もて百里を進むわりなさか是れ
[#ここで字下げ終わり]

 自分には人の持たぬ翅がある。この翅は前へ飛ぶことを知つて退くことは出来ない。退くには足を以てしなければならない。人が一歩歩く間に百里飛んでしまつたのでは調子が合はないから後退しようとするが、足で一歩退くのではどうにもならない。まづさういつたやうな不合理である。世間の凡俗と自分との距離の大きさを痛感し当惑したものであらう。例へばこんな場合がある。源氏の作者を二人に分け、宇治十帖を娘の大貳三位の作と断じたのなどは、自分には極めて明白で疑ふ余地のないことである。文章を読み破る力のある人、歌の調子又そのよしあしを判別し得る人なら誰でも気がつく筈である。それを今日迄誰一人気づくものもなく、又今日私がそれを云ひ出しても一人の同意者も得られない。当惑せずにはゐられないではないか。

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落葉ども昔住みつる木の影の写ると知るや暖き庭
[#ここで字下げ終わり]

 これもいつもの万有教的観察のあらはれで、冬の日の暖かい日ざしはそのまま作者の人間の心の暖かさを呼び出し、地上一面に散らばつて落葉にまで話しかけさせるのである。

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青海波金に摺りたる袴して渡殿に立つわが舞の仕手
[#ここで字下げ終わり]

 美しい若い女の子の仕舞姿をたたへるものであらう。之に続いて 皷よしいみじく清き猩々が波の上をばゆらゆらと行く といふ歌があるので、その舞の猩々であることが分る。

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鴉ども落日の火が残したる炭の心地に身じろがぬかな
[#ここで字下げ終わり]

 ここに又印象|歌《うた》の内でも最も濃淡のはつきりした一例が見られる。冬の落日の印象で、日が沈み終つても尚裸木に止つた儘動かない鵜を火の消えた火鉢の炭のやうに感じたのである。

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束の間も我を離れてあり得じと秋は侮る君の心も
[#ここで字下げ終わり]

「君の心も」は「君の心をも我が心をも」の略であらう。倦怠の夏が過ぎ、快い秋ともなれば、恋の引力が急に増大して離れられなくなる。それを見る秋は人の心の弱さ頼りなさを侮らずには居られないであらう。

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寂しさを華奢の一つに人好み我は厭へど逃れえぬかな
[#ここで字下げ終わり]

 この人は誰でもよい、古人でもよい、寛先生であつてもよい。兎に角日本人には寂しさを好むものが多い。私は華やかなことは好きだが、寂しさやしをりは大嫌ひだ。しかし人生の一面である以上それから逃れるわけにもゆかないのである。

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秋風は長き廊ある石の家吾が為めに建つ目には見えねど
[#ここで字下げ終わり]

 作者は巴里滞在中、油絵の手ほどきを受け、帰朝後も暫く写生を続け、素人としては雅致なしとしない幾枚かを作り富士見町の壁に懸けてゐたことがある。それも作者が造形芸術家としてその資格を欠かない一証ではあるが、この歌などは作者の造形芸術家としての面目を明瞭に表してゐる。或は音楽として或は美術として自由自在に自己を表現して余す所のなかつた作者は珍重されなければならない。

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信濃川鴎もとより侮らず千里の羽を繕ひて飛ぶ
[#ここで字下げ終わり]

 大正十三年八月新潟での作。日本第一の信濃川の河口を鴎が飛んでゐる。千里の海を飛ぶ鴎ではあるが大きくとも尚狭い、信濃川を侮るけしきなく、羽づくろひをして力一杯に飛んで居る。これは同時に象徴|歌《うた》であつて、どんなことにも全力を尽くして当る作者自身の心掛を鴎に見出したのである。

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天地に解けとも云はぬ謎置きて二人向へる年月なれや
[#ここで字下げ終わり]

 夫婦生活の謎である。その謎は遂に解かれずして今日に至つたが、思へば変な年月を暮したものだ。他人も皆さうなのであらうか。道歌の一歩手前で止まつた形ともいへる。少し匂ひがするがこの位はよからう。「なれや」は少し若い。

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大海に縹の色の風の満ち佐渡長々と横たはるかな
[#ここで字下げ終わり]

 荒海や佐渡に横たふ天の川 がある以上その上に出来て居る作だと云はれても仕方がないが、詩としての価値はそんなことで左右されはしない。詩人としての才分を比較すれば、晶子さんの方が数等上であらうが、この句と歌とだけを比較すれば一寸優劣はつけにくい。芭蕉もいい句はやはり大したものである。

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誰れ見ても恨解けしと云ひに来るをかしき夏の夕暮の風
[#ここで字下げ終わり]

 晶子さんの心が漸く生長して少しのことでは尖らなくなつた頃の作。その心持が偶※[#二の字点、1−2−22]夏の夕暮の涼風に反映したものであつて、同時にそれは又万国和平の心でもある。

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近づきぬ承久の院二十にて遷りましつる大海の佐渡
[#ここで字下げ終わり]

 佐渡といへば或るものは金山を思ふであらう。近頃の人ならおけさを思ふであらう。作者はしかし佐渡へ渡らんとして第一に思つたのは順徳院の御上であつた。歌人として史家としてさうあるべきであるが、その感動がよくこの一首の上にあらはれてゐて、自分をさへ一流人として感ずるものの様に響く。

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水の音激しくなりて日の暮るゝ山のならはし秋のならはし
[#ここで字下げ終わり]

 大正九年初秋北信沓掛の星野温泉に行つた時の作。あそこは水の豊富な所だから特にこの感が深かつたのであらう。

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菊の花盛りとなれば人の香の懐しきこと限り知られず
[#ここで字下げ終わり]

 菊の花の真盛りと人懐しさの極限に達することとの間に如何いふ関係があるのであらうか。詩人はものを跳び越えるので、橋を渡して考へなければ分らないことが多い。先づ気候が考へられる。菊の花盛りは十一月の初旬で空気が澄み一年中一番気持のよい気節で、人間同志親しみ合ふのも最も適してゐる、結婚などもこの月に多いやうである。も一つ考へられる橋は菊の匂ひである。この匂ひは木犀やくちなしの様に発散しないし、薔薇のやうに高くもないが、近く寄つて嗅ぐ時は一種特別の匂ひがす
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