れてゐるが、この歌の様に反対に三十を越えていよいよ人間としての我が貴さを感じ勢ひ込んで黒髪を梳くといふ様な例は余りあるまい。しかしそれがほんとうなのであつて人間はいつも現在を最上のものとして生きてゐるやうだ。現在を過去に比して歎く類は何れかといへば因習的な型にとらはれた感じなのではなからうか。それだからこの歌のやうに逆に現在を讃美する方に新らしさが生れるのである。
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普明院書院の障子匍ひあるく大凡隠岐の島ほどの蟻
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やはり大山頂上にある御寺であらう、普明院の書院の障子を偶※[#二の字点、1−2−22]大きな蟻が登つてゐた。先程から海中にぽつんと浮んでゐる隠岐の島が何とか歌ひたくて仕方がなかつた作者は、直ちにこの蟻を捕へてそれに結び付けて詩心を満足させたわけなのであらう。
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春の日の形は未だ変らずて衰へ方の悲しみも知る
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単純に若いのでもない、衰へきつて若さが失はれてしまつたのでもない、その中間にあつて両者の相反した感じを同時に味はへる現在の環境を楽しむものでもあらうか。
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元弘の安養の宮ましたりし御寺の檐に葺く菖蒲かな
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作者は読史家としても一隻眼を具へてゐて特に国史は大方誦じてゐた。諸処を吟行する場合もそれが史蹟でさへあれば必ず詠史の作を残してゐる。元弘は後醍醐天皇の年号であるから安養の宮はその皇女でもあらうか。安養寺に居られた故の御名であらう。その安養寺へ来て見ると、折も折端午の節に当つて古風に檐に菖蒲が葺かれてゐた。それが、史蹟であるだけ一層趣き深く見えたのである。同じ時の歌に 安養寺歯形の栗を比《たぐ》ひなき貴女の形見に数へずもがな といふのもあり、又山の雪を見ては隠岐から還幸された天皇を偲んで 御厨の浜より上りましたりし貴人の如き山の雪かな とも詠まれてゐる。
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五人は育み難し斯く云ひて肩の繁凝《しこり》の泣く夜となりぬ
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五人目の子の生れた頃の作。太陽へ鏡影録を書いたり、色々の新訳物を出したり一家の経済は殆ど夫人の手一つで切り盛りされてゐたらしい。その余憤の洩らされた歌で、溜息のやうなものである。しかしそれにも拘らず事実は十一人の子女が見事に育て上げられたのである。
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自らを五月の山の精としも思ふ卯つ木は思はせておけ
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毒うつぎともいはれる卯つ木が紅白とりどりに初夏の山に咲き誇る勢ひは大したもので、藤にしろ躑躅にしろ蹴押され気味である。而して我こそ五月の山の精であると自負して居るらしいがそれもよからう、勝手に思はせて置くがよい。大してえらくもない連中の威張つて居る世相が同時に象徴されても居るやうだ。
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天地のものの紛れに生れにしかたは娘の人恨む歌
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人並はづれた才分をたまたま持たされて生れて来た許りに、人並はづれた恋もし人を恨む歌を読むことにもなつたといふ述懐で、かたは娘は反語であらう。
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蜂蜜の青める玻璃の器より初秋来りきりぎりす啼く
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所謂近代感覚による象徴詩で、ある時期に作者も試みたがその数は多くない。今後短歌もこの方向に進む余地が大にありさうだ。この歌のきりぎりすは蟋蟀の古語でなく、今の青い大きいきりぎりすとすべきでそれでなくては近代感と合はない。
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高々と山の続くはめでたけれ海さばかりに波立つべしや
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丹後与謝の大江山辺の景色。ここからは下に橋立浜の絶景も見える。両者を見較べて山の高きを称へ同時に海は平らな海としてその美を存する趣きである。
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都をば泥海となしわが子等に気管支炎を送る秋雨
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今日の東京も滅茶滅茶にこはれてしまつたが、明治末年の雨の日の東京の道路と来たらお話にもなにもあつたものではなかつた。外国の記者が之を評して潜航艇に乗つて黄海を行くが如しと言つた。靴など半分位もぐつてしまつたからである。この歌を読むと当時が思ひ出され歴史的意義も少くない。
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落葉よりいささか起る夕風の誘ふ涙は人見ずもがな
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銀杏や欅の落葉の美しく地に散り敷いた処へ夕風が起つてさつと舞ひ上つた。それを見て何の訳もなく涙が出て来た。悲しんででも居る様に人は思ふだらうから見られないやうにしよう。これも悲しくない涙の例。
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嬉しさは君に覚えぬ悲しさは昔の昔誰やらに得し
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誰やらとは誰の事だらう。嬉しさの与へ手はその昔、悲しさの与へ手ではなかつたか。その覚えなしとは云はさぬといふほどの寸法であらう。
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春霞何よりなるぞ桃桜瀬戸の万戸の陶器の窯
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昭和四年四月尾張の瀬戸に遊んだ時の作。春霞とは一体何か。私は知つてゐる。それは桃の花から立ち登るガス、桜の花から立ち昇るガス、葉もあらうかと思はれる焼物窯から立ち昇るガス、さういふものの合成したものがこの町の上に棚曳いてゐる春霞である。
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相寄りてものの哀れを語りつと仄かに覚ゆそのかみのこと
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そもそもの逢ひ初めはどんな風であつたか。私はかすかに思ひ出すが、近く寄つて物の哀れを語り合つただけである。それが如何であらう、けふのこの二人の中は。
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光悦の喫茶の則に従ひて散る桜とも思ひけるかな
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鷹が峰の光悦家を尋ねた折、折から満開の桜の散るのを見て光悦の御茶の規則に従つて散るものと思つたのである。これが晶子さんの見方で他人の決して見ることの出来ない見方である。
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三月見ぬ恋しき人と寝ねながら我が云ふことは作りごとめく
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前に 君に逢ひ思ひしことを皆告げぬ思はぬことも云ふあまつさへ といふのを説いたが、それは若い恋の場合であつた。今度のこの歌は夫婦生活長い後のものであるが、会話に平板を破らうと労力してゐる跡が見え興味が深い。
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青春の鬼に再び守らるる禁獄の身となるよしもがな
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若き日の夢を再び追ひたい心持ではあるが、鬼といひ禁獄といふ恐ろしい言葉の使つてあるのは意味がある。年をとつて酸いも甘いも噛み分けた今は大した欲望とてもない謂はば自由の身である。それから見ると強烈な内の促しの支配する若い頃は、青春鬼とでもいふ獄卒の見張りをする獄中にゐるに等しいが、それがも一度さういふ目にあつて見たいのである。
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男をば日輪の炉に灸るやと一時《ひととき》磯に待てばむづかる
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鎌倉の様な海浜の夏の逢引で、少し待たされた男の言ひ分で面白い。しかし日本の海の夏の沙はまさにこの通りで誇張でも何でもない。であるからむづかるのでもある。
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我は泣くこれをば恋の黄昏の景色と見做す人もあらまし
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今私は泣いてゐる。これを見る人は私の恋もいよいよ終りに近く正に黄昏の景色だと思ふ人もあらう、さうでもないのだが。斯んな風に直き泣く様ではさうなのかも知れない。
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後ろより危しと云ふ老の我れ走らんとするいと若き我
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青春と老熟の入り交つて平衡状態を保つ三十過ぎの心の在り方は恐らくこんなものであらうかなれど、何しろ三十年も前の事だから私自身は忘れてしまつて何とも云へない。
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三角帆墨の気《け》多き海に居て片割月にならんとすらん
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武蔵の金沢に遊んだ時、夕暮に小高い丘に登つて海を見た景色、私も一しよに見たのでよく知つてゐる。少し暗くなつた海面に小ヨツトの三角帆がたつた。一つ浮いてゐた。私もそれを詠んだ筈だ。夫人は何と詠むだらうと興味を以て臨んだが遂にこの歌になつた。その第一印象の的確にして過らざるに感心したことがあるが、今取り出して見ても浮き出すやうに鮮やかな印象を受け取る。
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髪未だ黄ばまず[#「黄ばまず」は底本では「黄ばます」]心火の如し悲みて聴く喜びて観る
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三十を越えたといふ自覚はあつても髪はまだ黄色にはなつてゐない、火の様な心はその目の様に燃えてゐる。人の話をきくにも悲しい話は涙を流して聴き、面白い芝居は心を躍らして見ることが出来る。私はまだ若いのだ。
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凋落は我が身の上になりぬると云ひ過ぎすなり思はざること
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今思ひ出して見ると何と云ひ過ぎの多かつたことよ。私の如きもいひ過ぎ許りして居た様だ。夫人も相当云ひ過ぎがあつた。それに気がついた歌である、いよいよ私の凋落する番が来たなど思ひもしないことをつひ云つてしまつた。しかし潜在意識にそんなことがあつて出て来たのかも知れない。さうとすればうそでもないのだ、言ひ過ぎだとするのは自ら欺くものである。何だかそんな裏の意味もありさうだ。
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紅の海髪《おごのり》の房するすると指を滑りぬ春の夜の月
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すこし霞んだ春の夜の月の昇つてくるのを見るとあのぬらぬらする紅い海髪の房がするすると指の間をすり抜ける感触だ。暖かい風の吹いて居る静かな海岸の岩の間に顔を出す人魚、近代人の感触は例へば斯ういふ媒介者があつて感ぜられるとも云へる。
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何時となく思ひ上がれる我ならん君も仇も憎からぬかな
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人間も漸く成熟すると斯ういふ境地に立つ、即ち恩讐一等の境地である。それをさうといはずに殊更に卑下して思ひ上がれるといつたのであらう。
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恋もせじ人の恨みも負はじなど唯事として思ひし昔
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私は少女の頃から色々の古典も新作も読んで恋の葛藤の悲しさ痛ましさ浅ましさ恐ろしさを十分知るにつけ、私は恋などはしない、人の恨みも受けまいと簡単に考へてゐたのであつた。それだのに如何だらう。人の恨みを受けるやうな人並はづれた危い恋をしてしまつた、恋を知らない少女心はそんなものでしかない。
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島の雨紅襷して樫立の若衆が出でて来る時も降る
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八丈島へ遊びに行つた時、偶※[#二の字点、1−2−22]大賀郷の広場で樫立部落の若衆によつて八丈音頭の踊られるのに出会つた。その時は夏の暑い日盛りであつたが、一年二百五十日は降るといふ島の雨が折しも夕立となつて降り出した。それがをかしかつたのである。
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仄白き靄の中なる苜蓿《うまごやし》人踏む頃の明方の夢
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私は今明方の夢を見てゐる。今頃は仄白い大方脚気を直したい人達が靄を分けつつ柔い苜蓿の上をはだしで踏んでゐる頃であらう、それもよし、わが快い夢もよい。
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芝山を桐ある方へ下りて行く女犬ころ初夏の風
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山本さんの野方の九如園で歌会が開かれた事がある。五月牡丹未だ散らず、空には桐の花の咲く日であつた。その匂ひをしたつて芝山を婦人客と犬と微風とが降りてゆくのである。
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漸くに思ひ当れる事ありや斯く物を問ふ秋の夕風
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昔から秋風を歌つた歌は大変な数に達するだらうが、さて余りよい歌はない。最初のものは額田の女王の 君待つと吾が恋ひをれば吾が宿の簾動かし秋の風吹く で之はよろしい。万葉はこれ一首。次は一足飛びに源重光
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