もはかなごとは遂にはかなごとなのであらうが。こんな風に考へて見たがこれでよいとも思へない。誰でも別に考へて見て下さい。
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木枯しす妄語戒など聞く如く君と語らずなりにけるかな
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五戒十戒何れの戒にも妄語戒はある。外には木枯しが吹いてゐる。木枯しの声は厳しい。妄語戒のやうだ。薄い舌でべらべら口から出任せの※[#言+虚、第4水準2−88−74]を一夏しやべり続けた罰に凡ての木の葉を打ち落してしまふぞといふ木枯しの妄語戒は厳しい。さう思ふと君と話すことさへ憚られ、つい言葉少なになつて行つた。
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逆に山より水の溢れこし驚きをして我は抱かる
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初めて男に抱かれた時の感じはこんなものであらうと女ではないが分る気がする。この歌がなければ遂に分らなかつたかも知れないから、読者の情操生活はそれだけ豊富になるわけだ。よい歌の功徳である。
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霧積の泡盛草の俤の見ゆれど既にうら枯れぬらん
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霧積温泉で見た泡盛草の白い花がふと目に浮んで来た。しかし秋も既に終らうとしてゐる今頃はとうにうら枯れてしまつたことだらう。蓋し凋落の秋の心持を「泡盛草」に借りて表現するものであらうか。
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左右を見後ろを見つつ恋せよと祖のいひしことならなくに
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四方八方見廻しながら注意深く恐る恐る恋をしろなどと私達の祖先はそんな教訓は残して居ません、それだのに如何でせう、私の態度はそんな教訓でも残つてゐて、それに従つてでも居るやうではないか、何といふ恥知らずなことであらう。
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いと親し疎しこの世に我住まずなりなん後も青からん空
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十年後私が死んで地上に居なくなつた場合の秋の空を思ふと、やはりけふの様に青い事だらう、さう思つて改めて空を見ると、空の青さが親疎二様に見えて来る。親しいのは今の青。親しくないのは後の青。
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よき人は悲しみ淡し我がどちは死と涙をば並べて思ふ
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善人賢人の悲しみを見るに淡々として水の様だ。それに対して我々のそれは如何かと云ふと、涙の隣に死が並んでゐる。悲しむ時は死ぬほど悲しむ。これは作者晶子さんの飾らぬ衷情で、或一時期には悲壮な覚悟をさへしたことのある事実を寛先生の口から私は聴いてゐる。
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風立てば錦の如し収まれば螺鈿の如し一本桜
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桜を歌つた歌はこの作者には特に多い。荻窪の御宅には弟子達の贈つた数本の大木の染井吉野もあつて、春ともなれば朝夕仔細に観察する機会が与へられた。この歌の如きもその結果の一つであらう。動静二相を物の形態を借りて表現せんとしたものであるが、螺鈿の静相はよく分る、静かなる螺鈿の如しと云つてもをかしくない。錦の動相は如何か。昔から紅葉を錦に譬へるが川を流れる紅葉の場合などは正に動相である。しかしこの場合の動相はそんなことではない。錦のきらきらする心、それが風にもまれる桜の心なのであらう。
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神ありて結ぶといふは二人居て心の通ふことをいふらん
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一寸無味乾燥な aphorism のやうにも聞こえるが、二人居て心の通ふといふ処を重く見て、二人が同じ席に居て無言の儘心を通はしてゐる状態を思ひ浮べ、神ありて結ぶを御添へ物の様に軽く扱へば歌らしく響いて来てやはり面白いのである。
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春寒し未だ南の港にて復活祭を燕待つらん
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斯ういふ歌の作者こそ、読者から厚い感謝を捧げらるべきであらうと私は思ふ。なぜなら春が寒いといふ事象の外この場合何もないので本来なら歌は成立しない筈である。然るにその無の中へ詩人の空想が躍り出し形を造り出し生命を与へ、それによつて初めて春寒の感じが具象化され、読者の心の糧となるのである。仍てその功は徹頭徹尾詩人の空想が負ふべきである。
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言葉もて謗りありきぬ反《そむ》くとは少し激しく思ふことかな
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言葉に出た所では批謗としか思はれぬ様な事をしやべり歩く私である、人が聞いたら恋の反逆者のやうに思ふかも知れない、併しそれは言葉の上だけのことである。反逆と見えるのは実は前より少し許り激しく思ふことで、逆どころか順に進んで居たのである。日本の女性にも数個の好抒情詩を残した人が少しはある。額田女王、狹野茅上娘子、小町、和泉式部の様な人々である。しかしその内容は何れも大らかなのびのびした強烈ではあつても単純な古代人の情操を出るものはなく、近代人の複雑な感覚に働きかけることは出来ない。そこで日本の抒情詩に複式近代性を与へようと意識的に挺身したのが晶子さんであつた。さうして幾首かの傑作、幾十首かの秀作を残した。中に意味の取りにくい晦渋な難物の混じつてゐるのもその為である。惜しいことに之を次ぐものがない。これからの若い人に期待される。
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美くしき秋の木の葉の心地して島の浮べる伊予の海かな
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私も幾囘か美しい島の浮んでゐるあの辺を船路で通つたことがあるが、これ程の歌は遂に作れなかつた。これはしかし陸地から見た感じで、洵にたわいない様なものだが、精選された快感が風の様に吹いてゐる。
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いと熱き火の迦具土の言葉とも知らずほのかに心染めてき
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今思へば、母の胎をさへ焼いたといふ赤熱した雷火のやうな言葉だつたのを、さうとも知らず、やさしいことを言ふものだと思つてなつかしい心持さへ起したが、未熟な少女心とは云へ見当違ひもひどかつた、と生成した心は思ふのである。
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伊予路より秋の夕暮踏みに来ぬ阿波の吉野の川上の橋
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これは形の上では単なる報告である。報告が詩になる為にはそれぞれの条件が備はらねばなるまい。この場合にはそれは何であらうか。作者はこの日伊予と阿波との国境を目指して車を駆つた。そんな経験はめつたにないことである。之が一つ。その国境は四国第一の大河吉野川が源を発して南向する地点である。之が一つ。しかもその谿流には橋がかかつてゐて、それを渡れば現に阿波の国である。之が一つ。時は何物をも美化しなければやまない、[#「、」は底本では欠落]しかも淋しい感じも伴ふ秋の夕暮である。之が一つ。作者はその橋桁の上を現に踏んでゐる。この時こんなことの出来るのは日本人中唯数人に過ぎない。之が一つ。以上の条件が具つて初めて詩になつたわけである。仇やおろそかには出来ない。
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毒草と教へ給へど我が死なぬ間は未だそのあかしなし
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無論象徴詩である。そんな考へは美しいがいけないことで身を亡ぼす基であると、世の賢人達は教へて下さるが、私は承服出来ない、私の死なない間はさういふ証拠はありません。思想の代りに感情を持つて来て賢人の代りに平凡な恋人をして云はしめてもそれでもよい。
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讃岐路のあやの松山白峰に君ましませばあやにかしこし
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この歌の下に流れてゐる感じは、前にあげた圓位と順徳院の真野の山陵の場合と全く同一で五百年を隔てて古への薄幸な帝王を忍ぶ悲壮ではあるが冷静な心持である。さればその感じも自らあらはれてその調子の高いこと、前の歌にも劣らない。あやの松山は崇徳院の流され給ふた所、又山陵の存在地でもあつた。保元物語に 浜千鳥あとは都に通へども身は松山に音をのみぞ泣く といふ御歌がありその頂を白峰といふらしい。あやは阿野又は繞で郡の名、そのあやにあやにかしこしのあやを引かけ、ここに寛先生の短歌革新運動以来追放されて久しいかけ言葉が復活した次第である。しかも大真面目に壮重に復活したのであつて、かけ言葉もここ迄来れば立派な音楽でもある。
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春につぎ夏来ると云ふ暇無さ黒髪乱し男と語る
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晶子さんの秀歌の中には、同じ程の本分のある人なら作れさうな歌も少くはない。しかしこの歌に限つて晶子さんでなければ出来ない。私はさう思つてこの歌をよむのであるが、理由はよく説明が出来ない。或は作者の俤が裸で躍る様な感じが四五両句に感ぜられる、その為かも知れない。一首の意は恋愛三昧に日もこれ足りないのであらうが、ヰインの女のそれのやうに心易いものでなく、相当深刻なものであることは黒髪乱しが語つてゐる。
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雲遊ぶ空と小島のある海と二つに分けて見るべくもなし
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秋の空が海に映り、海の青が空に映る瀬戸内の風光を、空には雲を遊ばせ、海には島を浮せ各その所を得しめた儘、之を併せて帰一させ、二にして一の実相として彷彿させる大手腕の歌だ。
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隣り住む南蛮寺の鐘の音に涙の落つる春の夕暮
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暫くではあつたが千駄ヶ谷を出て神田の紅梅町に移られ、朝夕ニコライ堂の鐘を聞いて暮された事があつた。その時の歌。これは秋の夕暮ではいけないので、又夏や冬ではなほいけない、春でなければならないことは少しく歌を解するものなら分るであらう。唯私は涙を盛つた袋のやうな人であつたことを斯ういふ歌を読んで思ひ出す。涙が出ることを泣くといふならば一生泣き暮した人でもあつた。それは併し最も自然に立琴が風に鳴るやうなものであつた。
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渓に咲くをとこへしぞと我が云へど信ぜぬ人を秋風の打つ
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歌の一面には、その相が特殊化されればされるほど段々価値の高まつてゆく一面がある。他面にはその反対の場合もあり、天地創造にも比すべき茫漠たる美が存在する、晶子さんの場合は、その両面とも人の行かれない極限迄行つて居る。それだからこそ秀歌が多いわけでもある。この歌には第一の場合の恐ろしい特殊面が出て居る。これは上州の奥の法師温泉――高村光太郎君によつて我々の間に紹介された古風な炭酸泉――に滞在中一日赤谷川の渓谷伝ひに三国峠へ登つたことがあつた。その途での出来事。見なれない花が咲いて居るのを、作者は、これは女郎花の一種で、渓に咲くをとこへしといふものだと教へた。それを聴いた人がそんな変な話があらうかといふ様な顔をした。作者は本草にはとても詳しいので決してでたらめは云はない、それに信じないとは怪しからんと思つた途端に秋風が吹いて来てその人の頬を打つた。残暑の酷しい折とて快い限りであつた、それをいい気味だ、人のいふことを信じない罰だと戯れたのである。何と細かい場面ではないか、これだけの特殊相がこの一首に盛られてゐるのである。凡庸の作家の企て及ぶ所でないことがこれで御分りであらう。
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人の世にまた無しといふそこばくの時の中なる君と己れと
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貴方も私も未だ若いのですよ、若い時は人生に二度とないといふではありませんか、しかしその時は余り長くはありません、私達は今その貴重な時の中に起居してゐます、思ひの儘に振舞つて能率をあげませう。
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その下を三国へ上る人通ひ汗取りどもを乾す屋廊かな
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法師温泉は川原に涌くのを其の儘囲つたもので、主屋は放れた小高い処に建てられて居り、其の間が長い廊でつながり、廊について三国街道が走つてゐる、廊には昨日三国へ上つた婦人客の汗取りがずらつと干してある、その下を三国を経て越後へ通ふ旅人が通るのである。これも山の温泉の特殊相である。
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恋人の逢ふが短き夜となりぬ茴香の花橘の花
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橘が咲き茴香が咲き夏が来た、短い夜はいよいよ短くなつた、たまの逢
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