すからどこまでも捨てずに行きます、しかしこの度のことは何としてもただでは許せません、これから重い刑を申し渡しますからその積りでおいでなさい。要するに口説歌とでも解すべき、抒情デテエルであるが、これも新古今辺から躍出して多少とも新味のある明治の抒情詩を作り出さうとした作者の試みである。

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雪積る水晶宮に死ぬことと寒き炬燵となど並ぶ[#「並ぶ」は底本では「茲ぶ」]らん
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 私は今雪の降り積る水晶宮の中で氷の様な冷い神々しい感じで静かに死んでゆく。それだのにその側に那須温泉の寒さうな炬燵が置いてある、どうしたことであらう。これは恐らくは実際に見た重病人の幻像であらう。

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昔の子なほかの山に住むといふ見れば朝夕煙たつかな
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 明治の末年故上田敏先生が大陸の象徴詩を移植しようとして訳詩の業を起され、当時の明星が毎号之を発表してそのめざましい新声を伝へたことがある。それらは後にまとめられて海潮音一巻となつた。この訳詩は、上田さんの蘊蓄がその中に傾けられたとでも言はうか、その天分が処を得て発揮されたとでも言はうか、実に見事な出来で、寛先生の数篇の長抒事詩以外日本の詩で之に匹敵するものはないと私は信じてゐる。私は今定形詩に就いて云つて居るので、律動のみの自由詩には触れない言である。この海潮音は当時私達新詩社の仲間に大きな感激を齎らし、他から余り影響を受けない晶子さんとて免れるわけはなかつた。この歌などがその現はれではないかと思ふ。斯ういふ現実放れのした歌は、その後我々の方でも余り作られなくなつてしまつたが惜しいわけである。自縄自縛といふことがあるが、現在の歌作りがそれである。

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白山に天の雪あり医王山《いわうさん》次ぎて戸室《とむろ》も酣の秋
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 昭和八年の晩秋、加賀に遊ばれた時の作。白山は加賀の白山で、白山は雪が積つてもう冬だ、その次は医王山これも冬景色に近い、次が前の戸室だが、ここは今秋酣で満目の紅黄錦のやうに美しい。三段構への秋色を手際よく染め上げた歌。

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見えぬもの来て我教しふ朝夕に閻浮檀金の戸の透間より
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 閣浮檀金とは黄金の最も精なるものの意であらう。詩を斎く黄金の厨子があつて、その戸の透間から目に見えぬ詩魂が朝に晩に抜け出して来ては私に耳語する。その教へを書きとめたものが私の歌である。さういつて大に自負したものの様に思へるが、果してどうか、別に解があるかも知れない。

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美くしき陶器《すゑもの》の獅子顔あげて安宅の関の松風を聞く
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 昔は海岸にあつた筈の安宅の関が今では余程奥へ引込んでゐると聞いてゐる。その安宅の関へ行かれた時の作。そこに記念碑でも立つてゐて九谷焼の獅子が据つてゐるものと見える。天高き晩秋、訪ふものとてもない昔の夢の跡に松風の音が高い。それを聞くもの我と唐獅子と。

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いそのかみ古き櫛司[#「櫛司」はママ]に埴盛りて君が養ふ朝顔の花
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 これも写生歌ではないと思ふ。詩人が朝顔を作るとしたらこんな風に作るだらう、またかうして作つて欲しいといふ気持の動きが私には感ぜられる。そこがこの歌の値打ちである。

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秋風や船、防波堤、安房の山皆痛ましく離れてぞ立つ
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 昭和八年の秋、横浜短歌会席上の作。空気が澄んで遠近のはつきり現はれた横浜港の光景である。その舟と防波堤と安房の山との間に生じた距離が三者の間のなごやかな関係を断ち切つて、離れ離れに引き離してしまつた。その離散した感じが作者の神経に触れて痛ましい気持を起させたのである。

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誓言わが守る日は神に似ぬ少し忘れてあれば魔に似る
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 我々がまだ若かつた時分、パンの会の席上であつたと思ふが、寛先生が内の家内は魔物だと冗談の様に云はれた言葉を、印象が強かつた為であらう、私は遂に忘れなかつた。この歌で見ると、それは夫である寛先生の見方であつた許りでなく、夫人自身が自らさう思つて居たらしい。勿論いつもいつも魔であられては堪らない。神様の様な素直な大人しい女である時の方が多く、それは誓言を守つて居る時であるが、少しでもそれを忘れると本来の魔性があらはれて猛威を振ふことになる、又晩年の作にこんなのもある。 我ならぬ己れをあまた持つことも魔の一人なる心地こそすれ

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わが梅の盛りめでたし草紙なる二条の院の紅梅のごと
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 これは昭和八年二月寛先生六十の賀――梅の賀が東京会館で極めて盛大に行はれた時の歌で、草紙はいふ迄もなく源氏物語、二条の院は紫の上を斎く若い源氏の本拠。そこに咲いた紅梅の様に盛大であつたと喜ぶのであるが、その調べの高雅なこと賀歌として最上級のものである。

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心先づ衰へにけん形先づ衰へにけん知らねど悲し
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 心が先に衰へれば心の顕現したものに外ならぬ形の従つて衰へるのは理の見易い所である。しかし反対に形が先に衰へても、それが鏡などで心に映れば心もそれに共感して衰へ出すであらう。私の場合はどちらであらうか。はずまなくなつた心が先か、落ち髪がして痩せの見える形が先か、それは分らない、しかし悲しいのはどちらも同じことである。

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梅に住む羅浮の仙女も見たりしと君を人云ふ何事ならん
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 羅浮の仙女とは、隋の趙師雄の夢に現はれて共に酒を汲んだ淡粧素服の美人、梅花の精で、先生も若い時分には羅浮の仙女にも会はれたことだらうといふ話を人がして居るが何のことだらうととぼけた歌。之も前と同じ時の賛歌で同じく梅に因んでの諧謔である。めでたく六十にもなつたのだ、若い時があつたといふ証拠のやうなそれほどの事を今更誰が咎めませうといふ心であらうか。

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先に恋ひ先に衰へ先に死ぬ女の道に違はじとする
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 女庭訓にあるやうな日本の婦道を歌つたものでも何でもない。私はかう思ふ。この頃しきりに髪が落ち目のふちに小皺が見え自分ながら急に衰へを感じ出したが、さてどうにもならないといふ時、自分に言つて聞かせる言ひ訳だらうと思ふがどうであらうか。

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秋寒し旅の女は炉になづみ甲斐の渓にて水晶の痩せ
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 秋寒しは、文章なら水晶の痩せて秋寒しと最後に来る言葉である。これは昭和七年十月富士の精進湖畔の精進ホテルに山の秋を尋ねた時の作。富士山麓の十月は相当寒い。旅の女は炉辺が放れられない。しかし寒いのは旅の女許りではない、この甲州の寒さでは、水晶さへ鉱区の穴の中で痩せ細ることだらう。

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一端の布に包むを覚えけり米《よね》と白菜《しらな》と乾鮭《からさけ》を我
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 世話女房になりきつた巾幗詩人の述懐であるが、流石に明治時代は風流なことであつた。今なら「こめ」「はくさい」「しほざけ」と云ふに違ひない。

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いつまでもこの世秋にて萩を折り芒を採りて山を行かまし
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 伊豆の吉田に大室山といふ大きな草山がある。島谷さんの抛書山荘から歩いて行ける。この歌の舞台で、奈良の三笠の山を大きくし粗野にした景色である。終日山を行つて終日山を見ず、萩を折り芒を採つてどこまでも行きたい様な心持を作者に起させたに違ひない。

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表町我が通る時裏町を君は歩むと足ずりをする
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 足ずりをするは悔しがることである。事余りに明白なので解説の必要もないが、その表象する場合は数多くあらう。誰でも一度や二度覚えはあらうから読者は宜しく自己の体験に本づいて好きな様にあてはめて見るべし。歌が面白く生きて来るだらう。

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黄昏に木犀の香はひろがれど未だつつまし山の端の月
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 夕方になると木犀の香は一層高くなり遠くへもひろがる。空気の澄んだ湖の家のこととて尚更いちじるしい。その強烈な匂ひに対して山の端に出た三日月のこれはまたつつましいこと、形は細く色は淡い。作者は人の気のつかない色々の美を、その霊妙な審美眼を放つて瞬間的に之を捕へ、歌の形に再現して読者に見せてくれる為に生きてゐた様な人であるが、対照の美をいはゞ合成する場合も往々ある、この歌などがその例で、これは自然の知らない作者の合成した美である。

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水無月の熱き日中の大寺の家根より落ちぬ土のかたまり
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 天成の詩人も若い頃即ち修養時代には色々他の影響を受ける。この歌には蒲原有明さんの匂ひがしてゐる。ある近代感を現はさうとした作で、この人には一寸珍しい。

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天草の西高浜の白き磯江蘇省より秋風ぞ吹く
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 昭和七年九月、九州旅行の最後の日程として天草へ廻られた時の作。西高浜の白砂に立つて海を見てゐると快い初秋風が吹いて来る。対岸の江蘇省から吹いてゐるのだから、潮の匂ひの中には懐しい支那文化の匂ひもまじつてゐるに違ひない。そんな心持であらうか。この歌も恐ろしくよい歌だが、同じ秋風の歌でこれに負けない寛先生の作がある。私は一度ある機会に取り出して賞美したことがあつたが、序にも一度引用しよう。 開聞のほとり迫平《せひら》の松にあり屋久の島より吹き送る秋 前の天草が日本の西端なら、この開聞が岳は日本の南端で、その点もよく似てゐるがその調子の高いことも同じ程で何れもやたらに出来る種類の歌ではない。

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水隔て鼠茅花の花投ぐる事許りして飽かざらしかな
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 幼時を思ひ出した歌。斯ういふ種類の歌には余りよい歌はない、その中でこの歌など前の鏡の歌と共に先づ無難なものの一つであらう。

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天草の白鶴浜の黄昏の白沙が持つ初秋の熱
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 これは何といつても天草であること、白鶴浜であることが必要で、房州の白浜辺の砂ではこれだけの味は出て来ない。固有名詞の使用によつて場所を明確にし、その場所の持つ特有の味、色、感じを作中に移植する方法は、作者の最も好んで用ゐる所であるが、この歌などはその代表的なもので、それに依つて生きて居るのである。

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君に逢ひ思ひしことを皆告げぬ思はぬことも云ふあまつさへ
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 これは勿論下の方の思はぬことも云ふあまつさへを言ひたい許りに出来てゐる歌で、この句によつて恐らく不朽のものとならう。外国語に翻訳されたら例へば巴里のハイカイといふ如き形を取つて世界的の短詩となるであらう。

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巴浜、巴の上に巴置く岬、松原、温泉が岳
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 これも天草の歌。温泉岳が見えるのだから東側の浜であらう。巴のやうな形をして居るのであらう、その巴の上に岬と松原と海を隔てた温泉岳が三つ巴を為して乗つてゐるといふのであらう。巴の字が巴の様に三つ続く所に音楽があつて興を添へてゐる。

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翅ある人の心を貰ふてふ事は危し得ずば憂からん
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 翅ある人とはキリスト教の天の使か羽衣の天女か何れでもよいが、うそ偽りのない清い心の持主を斥すのであらう。さういふ清い心を貰つて自分の心としたら如何であらう。危いことだ。この恐ろしい世の中には一日も生きてゐられないかも知れない。さうかと云つて貰はないことはなほいけない。汚い心で生きるのでは生甲斐もありはしない。何れも不可である、それが人間の真実の姿なのであつた。

[#こ
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