直り過去の気まづいいきさつが一掃された[#「一掃された」は底本では「一掃さた」]といふのではありません、それは唯過去を忘れた報酬として新らしい時が得られただけのことです、ですから少しでも思ひ出せば折角の新らしい時も亦旧い時に変ります、御互に気をつけて徹底的に忘れませう。それが一番よいことなのです。
[#ここから2字下げ]
十字架の受難に近き島と見ゆ上は黒雲海は晦冥
[#ここで字下げ終わり]
十年の二月、熱海の水口園に泊られた時、暴風雨に襲はれてゐる前の初島を詠んだ歌で、十字架の難に逢つて居るとはいかにも適切な言ひ廻しであるが、同時にそれは作者の同情のいかに細かいかを物語つてゐると言へるのである。上は黒雲海は晦冥も十割表現で之亦作者の特技の一つであらう。又同じ島が今度は靴になつて 雨暗し棄てたる靴の心地して島いたましく海に在るかな とも歌はれてゐるが、感じが強く出てゐるだけこの方を好む人が多いかも知れない。
[#ここから2字下げ]
君来ずて寂し三四の灯を映す柱の下の円鏡かな
[#ここで字下げ終わり]
円鏡は昔の金属製のものを斥すのであらうからこの灯も電灯ではなく、ぼんぼりか行灯であらう。三四の灯といふので相当広い室でなければならないことになる。併し女主人公一人より居ない様子だ。それで一寸環境が忖度しにくいのであるが、男の来ないことをそれほど気にも留めず、鏡が寂しさうだといふのであるから女主人公もただの女ではなささうな気もする。
[#ここから2字下げ]
拝殿の百歩の地にて末の世は油煙をあぐる甘栗の鍋
[#ここで字下げ終わり]
昭和十年作者夫妻は鎌倉の海浜ホテルで最後の正月を過ごされた。一日鶴が岡八幡に参詣して み神楽を征夷将軍ならずしてわが奉る鶴が岡かな と歌ひ上げたが、その帰りにその征夷将軍の殺された石段を降りて来ると直ぐその下に甘栗屋が店を出してゐた。その対照が余りをかしいので、この歌が出来たのであらう。好個の俳諧歌。
[#ここから2字下げ]
人妻は六|年《とせ》七年|暇《いとま》無《な》み一字も著けず我が思ふこと
[#ここで字下げ終わり]
先づ一字の難もない完璧とも絶唱ともいふべき歌であらう。結婚後七年として即ち三十歳位の時の作であるから油も乗りきつてゐるわけだが。一字も著けずわが思ふことなどの旨さは歌を作つたことのないものには分るまいが、それは大したものなのですよ。しかし調子の上の先縦はそれらしいものが全く無くはない。私はすぐ石川の女郎の 志可の海人《あま》は布《め》刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに を思ひ出した。
[#ここから2字下げ]
初春に乗る鎌倉の馬車遅し今年の月日これに似よかし
[#ここで字下げ終わり]
讖を為すといふ事があるが、この歌などもそれらしく思はれる。ヰクトリア型とかドロシユケとかいふのであらう簡易な馬車が不思議に鎌倉にだけ残つてゐて見物人を便した、夫妻も正月気分で物好にその馬車に乗つたものらしい。久しく自動車に慣れた近代人には牛の歩みの遅々としていかにも初春の気分になる。年を取るに従つて一年の立つ早さが段々早くなる、糸の先に石をつけて廻すやうだと云はれてゐる。この馬車の遅い様に今年だけは月日の立つのもゆつくりして欲しいと希つたのであるが、思ひ設けぬ結果となつてそれから三月目に良人を失ひ、その後の八九ヶ月の長さは果して如何であつたであらう。感慨なしにこの歌は読まれない。
[#ここから2字下げ]
飲みぬけの父と銅鑼打つ兄者人《あじやひと》の中に泣くなる我が思ふ人
[#ここで字下げ終わり]
サアカスの娘の歌である。昔我々は天地人間あらゆるものを歌つてやらうとした事があつた。この歌などもその試みの一つであるが、その後いつしかさういふ企てもやんでしまつたので、落し種ででもあるやうにぽつねんと今に残つてゐるのである。しかし眼前の小景や日常茶飯事を詠む許りが歌の能でもあるまい。大に眼を開いて万般の事象特に人間界の種々相に歌材を求める時代がその内には来ようから、この歌などもさういふ際には好個の御手本とならう。この歌の姉妹歌がもう一つある。曰く 兄達は胡桃を食らふ塗籠の小さきけものの類に君呼ぶ
[#ここから2字下げ]
沙川の大方しみて海に出づ外へ流るる我が涙ほど
[#ここで字下げ終わり]
遠浅の沙浜を歩いてゐると川の水の大部分は沙にしみ込みその末が僅に海に落ちるのを渡ることがよくある。由井が浜にもあつたやうだ。私の泣くのをこの頃人はあまり見かけないであらうが、それは涙が外へ流れないからである。水が沙にしむ様に中へしみ込んでしまつて外に出ないから人の目に触れないだけのことである。
[#ここから2字下げ]
花草の原のいづくに金の家銀の家すや月夜蟋蟀
[#ここで字下げ終わり]
月夜の蟋蟀の声を金鈴銀鈴と聞く心持からその栖家が「金の家銀の家」となるので、交感神経による音感と視感との交錯である。花草の原は少し未熟だが月夜蟋蟀の造語は成功してゐる。(造語ではなく昔の人の使ひ古した言葉かも知れないが)
[#ここから2字下げ]
正月の五日大方人去りて海のホテルの廊長くなる
[#ここで字下げ終わり]
正月休みで雑沓してゐた海浜ホテルも五日になれば大方引上げて客が疎らになつた、そのために廊下が長くなつたやうな気がする。この感覚は清少納言の持つてゐたもので、また優れた多くの詩人の生れながらに持つてゐる所のものである。我が国でも芭蕉、蕪村、一茶近くは漱石先生など持ち合せて居たが、不幸歌人中には一人も見当らない。
[#ここから2字下げ]
風吹けば馬に乗れるも乗らざるもまばらに走る秋の日の原
[#ここで字下げ終わり]
之を写生と見たいものは見ても宜しいが、私は広い草原に野分だつた風の吹いて居る心持を人馬の疎らに走る象によつてあらはした一種の象徴詩だと思ふ。私は少年の日多分二百十日の頃だと思ふが寛先生に連れられて渋谷の新詩社を出て玉川街道を駒沢辺まで野分の光景を見に行つたことがある。その頃の草茫々たる武蔵野を大風の吹きまくつて居た光景がこの歌を読むとどうやら現はれて来る。
[#ここから2字下げ]
僧俗の未だ悟らず悟りなばすさまじからん禅堂の床
[#ここで字下げ終わり]
円覚寺の僧堂で居士を交じへて雲水達の坐禅をしてゐる処へ偶※[#二の字点、1−2−22]行き合せたものらしい。平常でも石の様に冷い僧堂が寒中のこととて凍りつく許りに見えたことであらう。しかしその一見冷い中にも修行者の集中した精神力から自然に迸る生気は脈々として感ぜられる、まだ悟らないからいい様なものの、もし一時にこれだけの人数が悟つたらどんなことになるだらう、その凄じい勢ひに禅堂の床などは抜けてしまふであらうと云ふのである。寛先生は若い時、天竜寺の峨山和尚に就いて参禅し多少得る処があつた様であるから、這般の消息は分つてゐるが、夫人は何らその方の体験なく唯禅堂の様子を窺つた丈で悟の前後の歓喜をよくこれだけ掴まれ、又適確に表現されたものだと思ふ。
[#ここから2字下げ]
古里を恋ふるそれよりやや熱き涙流れきその初めの日
[#ここで字下げ終わり]
男を知つた第一夜の心を自分から進んで歌ふことは余りなかつたことと思はれるが、作者は臆する処なく幾度か歌つてゐる。その時流れた涙の温度をノスタルジアのそれに比して明かにしてゐる。之亦生命の記録の一行として尊重さるべきであらう。
[#ここから2字下げ]
夕明り葉無き木立が行く馬の脚と見えつつ風渡るかな
[#ここで字下げ終わり]
疎らな冬木立に夕明りがさして歩いてゆく馬の脚の様に思へる、そこへ風が吹いて来て寒むさうだ。馬の脚などといふとをかしい響きを伴ふのでぶちこわしになる恐れのあるのを、途中で句をきつてその難を免れてゐる所などそんな細かい注意まで払はれてゐる様だ。
[#ここから2字下げ]
緋の糸は早く朽ち抜け桐の紋虫の巣に似る小琴の袋
[#ここで字下げ終わり]
家妻の為事に追はれ何年か琴など取り出して弾いたこともない。大掃除か何かで偶※[#二の字点、1−2−22]取り出されたのを見ると、縫ひ取つてあつた緋の糸は朽ち抜け桐の紋などは虫の巣の様になつてゐる。歳月の長さが今更思はれるといふ歌である。之より先楽器の袋を歌つた歌がも一つある。それは 精好《せいがう》の紅《あけ》と白茶の金欄の張交箱に住みし小鼓 といふので、之亦偶※[#二の字点、1−2−22]取り出して見た趣きであらう。精好とは精好織の略で絹織物の一種である。
[#ここから2字下げ]
十二月今年の底に身を置きて人寒けれど椿花咲く
[#ここで字下げ終わり]
十二月今年の底とは何といふすばらしい表現だ。かういふ少しも巧まぬ自然さを達人の筆法といふ。十二月は作者の誕生しためでたい月で、その五十の賀が東京会館で祝はれた時も、鎌倉から持つて来た冬至の椿でテエブルが飾られ、椿の賀といはれた位で、早咲きの椿を十二月に見る事は作者に取つては嬉しいことなのである。
[#ここから2字下げ]
粉黛の仮と命のある人と二あるが如き生涯に入る
[#ここで字下げ終わり]
生命のある真の人間と、人前に出る白粉をつけ紅をさした仮の人間と二人が同じく私の中に住むやうな生活がとうとう私にも来てしまつた。而してこの間までの若い純真さは半ば失はれてしまつたが、人生とは斯ういふものなのであらう。
[#ここから2字下げ]
東京の裏側にのみある月と覚えて淡く寒く欠けたる
[#ここで字下げ終わり]
師走の空にかゝる十日位の半ば欠けた宵月の心持で、東京の裏側を照らすとは言ひ得て妙といふべく、或はこれ以上の表現はあるまいとさへ思はれる位だ。誰か旨い英語に訳して見たら如何かと思ふ。
[#ここから2字下げ]
思ふ人ある身は悲し雲涌きて尽くる色なき大空のもと
[#ここで字下げ終わり]
野に立つて目を放つと地平からむくむく雲が涌き上つてきていつ果てるとも知れない。思ふことなしに見れば一つの自然現象に過ぎまいが、人を思ふ私が見ると丁度物思ひの尽きない様にも見えて悲しくなる。
[#ここから2字下げ]
正忠を恋の猛者ぞと友の云ふ戒むるごとそそのかすごと
[#ここで字下げ終わり]
正忠は山城正忠君の事で、琉球那覇の老歯科医である同君は年一度位上京され、その都度荻窪へも立ち寄られた。同君は古い明星の同人で、若い時東京に留学されその時先生の門を叩いたのであるから古い話だ。当時一しよに私の家などで運座をやつた仲間の生き残つてゐるのは吉井君であるが、大家を別とすれば今だに作歌を続けてゐるのは同君位のものであらう。戦争で大分辺に逃げて来て故江南君によると単衣一枚で慄へて居られるから何か著物を送るようとの事であつたが、その時は最早小包便など利かなくなつてゐたので如何とも致し様がなくその儘にしてしまつたが今頃は如何して居られることだらうか。その山城君は五十になつて恋をした、しかも熱烈な純真なものでさへあつたらしく沢山歌を詠んでゐる。それを本人は隠さうともしなかつた。恋の猛者とは年老いてなほ若い者に負けない気力を示した意味であるが、大勢の子供があり既に初老を越えた身の何事だといふのが戒むる意味、その純真な態度を知つては大に若返るのもいい事だ少しはやるがよいといふのがそそのかす意味、あなたを恋の猛者だと冷かすがその中には以上二つの意味が這入つてゐるのですよ。といふわけである。何となく奥行のある俳諧歌だとは思ひませんか。尚山城君は近年「紙銭を焼く」といふ歌集を出してゐる。琉球の郷土色が濃厚に出て居て珍しい集である。
[#ここから2字下げ]
高き屋に登る月夜の肌寒み髪の上より羅《ら》をさらに著ぬ
[#ここで字下げ終わり]
月を見て涼を入れようと半裸体の麗人が高殿へ登つてゆく、いくら夏でも上層は冷い、そこで髪の上からトルコの女のするやうに羅《うすもの》を一枚被いて残りの階を登つて行く。少し甘いが、紫色の一幅の画図を試みたものである。
[#ここ
前へ
次へ
全35ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平野 万里 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング