無からうか。

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一人にて負へる宇宙の重さよりにじむ涙の心地こそすれ
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 君と暮した四十年間十余人の子女を育てて私は重荷を負ひ続けて来た、しかし半ばは君に助けられつつ来たのである。今は一人で全宇宙を背負ふことになつたのであるから、その重さからでも涙はにじみ出るであらう。又ついで 業成ると云はば云ふべき子は三人他は如何さまにならんとすらん とも歎いて居られるが結果は一人の例外なくこれら凡ての子女をも女の手一つで立派に育て上げられたのであるから驚き入る外はない。

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もの欲しき汚な心の附きそめし瞳と早も知りたまひけん
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 君に対する時だけは少くも純真な心でありたいと心掛けて来たが、この頃はいつしか人間の本性が出て来てそれが色にも顕はれるやうになつた。敏感な君のことだからとうにそれに気づいて居られるのであらう。ああいふ御言葉が出るのもその為であらう。「どうしたらよからう、恥しいことでもある」先づこんなことでは無からうかと思はれるが、よくは分らない。

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君が行く天路に入らぬものなれば長きかひなし武蔵野の路
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 何時の日であつたか、皆で多摩墓地へ詣でた事がある。その帰途車がパンクして仕方なしにぽつぽつ歩き出したことがあつた。それによつて多摩に通ずる街道の真直ぐでどこまでも長いことを皆身にしみて経験した。君の辿られる天路へ之が通ずるものならこの長い長い武蔵野の路もその甲斐があるのだがと、この一些事さへ立派な歌材を提供したわけであつた。

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来啼かぬを小雨降る日は鶯も玉手さしかへ寝るやと思ふ
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 愛情の最も純粋な優にやさしい一面を抽出して他を忘れた場合斯ういふ歌が出来る。糸の様な春雨が降り出した。それに今朝は鶯の声がしない、きつと雨を聞きながら巣の中で仲よく朝寝をして居るであらう。今日の様な世相からこんな歌の出来た明治の大御代を顧るとまるで※[#言+虚、第4水準2−88−74]のやうな話である。

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魂は失せ魄滅びずと道教に云ふごと魄の帰りこよかし
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 人の生じて始めて化するを魄と曰ひ、既に魄を生ず、陽を魂と曰ふ(左伝)又魂気は天に帰し、形魄は地に帰す(礼記)とあつて古くは少し違つてゐるが、道教では精神を亡びる魂と亡びざる魄との二つに分けて魄は亡びないことになつてゐる。私は既成宗教を信じないからそんなことは如何でもよいが、この道教の言ひ分は俗身に入り易く信じ易い、そこで魄は亡びないといふことにしてそれだけでも帰つて貰ひたい。どんなに喜んで私はそれを迎へることだらう。

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椿散る紅椿散る椿散る細き雨降り鶯鳴けば
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 これは音楽である。春雨と鶯と椿とを合せるトリオである。唯その中では椿が飛び出して甲高い音を出してゐるわけで、それが頗る珍しい歌である。

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いつとても帰り来給ふ用意ある心を抱き老いて死ぬらん
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 心の赴くままに矩を越えざる哲人の境地はやがて寂しい我が家刀自の境地でもあつた。女史晩年の作の秀れて高い調子は斯る境地から流れ出す自然の結果で、諸人の近づく能はざる所以も亦ここに存するのであらう。

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紫の蝶夜の夢に飛び交ひぬ古里に散る藤の見えけん
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 ドガの描いたバレエの踊り子の絵を思ひ出して下さい。その踊り子達が絵の中から抜け出して舞台一面に踊り出したら、この歌の紫の蝶の飛び交はす夢の様な気分になるかも知れない。(ほんとうの踊り子は俗で駄目だ。)又古里に散る藤の見えけんと言つても上の夢の説明ではありません、別の夢を並記して色彩の音楽を続けたまでの事です。何の意味もありはしない。音楽の中から意味を探すこと丈はしない方が賢明だ。

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亡き魄の龕と思へる書斎さへ田舎の客の取り散らすかな
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 寛先生の葬儀当時の有様は雑誌「冬柏」を見れば窺はれるが、文壇から退かれて久しい割には極めて賑やかに進行し従つて采花荘[#「采花荘」は底本では「菜花荘」]の混雑も一通りではなかつた。先生の書斎だらうが何だらうが客で溢れてゐた。その際は仕方がないとしてもあとから出て来た人達の内誰かが多少の不行儀を繰り返したかも知れない。こんな歌の残つたことは少し残念だが、実はそれほどの事はなかつたやうだ。之は前記吉田さんの詩中にある「龕」といふ字を詠み込む為に作られた歌だからである。私はさう思つてゐる。しかし事実は如何であらうと、歌としては実に面白い歌だからここにも抜くのである。

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浅ましく涙流れていそのかみ古りし若さの血はめぐりきぬ
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 枕言葉などいふのんきなものを我々はめつたに使はなかつたが、この石の上だけは晶子さんが時々使つた。オオルドミスといふ程でもない古女の場合が考へられる。恋など再びしようとは夢にも思つてゐなかつた古女が、人の情にほだされてうかうか近づいて行つたが、或日その人の告白と強い抱擁とに逢つたやうな場合ではないか。止め度もなく涙が流れ出る一方久しく眠つて居た昔の若い血が突然目を覚まして心臓から踊り出す。涙はいよいよ流れて止まない。そんなことではないかと思ふが如何であらうか。

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我死なず事は一切顛倒す悲しむべしと歎きしはなし
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 昭和九年正月雪の那須で病まれた夫人は一時相当の重態であつたらしく、寛先生は痛心の余り血を吐く様な歌を沢山詠んで居られる、この悲しむべしと歎くといふのがそれである。例へば 妻病めば我れ代らんと思ふこそ彼の女も知らぬ心なりけれ 我が妻の病めるは苦し諸々に我れ呻《うめ》かねど内に悲む 世の常の言葉の外の悲しみに云はで守りぬ病める我妻 など殆ど助からない様な様相を一時は呈したらしい。その時死ぬべきであつた私が死なずに事は一切顛倒し、歎いたものが逆に歎かれるものになつた不思議な運命を直截簡明に抒し去つたものだが、純情に対する純情の葛藤であるから人心を打たずには置かない。

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これ天馬うち見るところ鈍の馬埴馬の如きをかしさなれど
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 これ作者の自負であらう。作者は若くしてその異常な本分を発揮した為世間も早くから天才女と認めて清紫二女に比べ、自分もそれを感じてゐた。しかし一面美しくもなし、話は下手だし、字は拙し(後には旨くなつたが)、才気煥発などとは凡そ縁の遠い地味な存在でもある。見た所鈍な馬であり埴馬の様なをかしい馬だが[#「だが」は底本では「だか」]、これでも一度時至れば空をゆく天馬になれるのだ。あんまり見くびつて貰ひ度くないといふのであらう。何か憤る所でもあつて発したものであらう。

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在《ま》し在さず定かならずも我れ思ひ人は主人《あるじ》の無しとする家
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 この家の主人は死んでしまつてゐないのだと他人は簡単に極めてしまつて疑はない。しかし妻である私はさうは思はない、半信半疑である、死んだやうでもあり、そのうちに旅から帰つて来さうでもある。他人の様に簡単に片づけられないのが妻の場合である。

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麦の穂の上なる丘の一つ家隈無く戸あけ傘造り居ぬ
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 恐らく昔の渋谷の奥の方ででも見た実景を単に写生したものであらうが、隈なく戸あけが旨いと思ふ、景色の中心がよく掴まれてゐる。

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人の世に君帰らずば堪へ難し斯かる日既に三十五日
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 如何かしてまた帰つて来るうな気がして毎日を送つて居るのだが、ほんたうにこの世へは帰らないのだとすればそれは堪へ難いことである。斯ういふ空頼めを抱いての日送りも既に三十五日になるが何時迄続くのであらう。

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十三の絃弾きすます喜びに君も命も忘れける時
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 恋愛を超え、生命を超えて芸術の三昧境に入る心持であるが、その場合音楽が一番適当なので昔のこと故十三絃の箏を選んだのであらう。実際晶子さんの琴を弾くのを聞いたこともなし、そんな話も聞かないが、琴の歌は相当多いから習はれたのではあらう。

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源氏をば一人となりて後に書く紫女年若く我は然らず
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 紫式部が源氏を書き出したのは夫に死に別れた後であるが、その年は若かつた。私も今一人になつたが、既に六十になる。大変な違ひだ。何が書けようか。といふのであるが、しかし作者は既にこの時には源氏の新々訳に着手して居たのではなかつたらうか。

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雨の日の石崩道《いしくえみち》に聞きしよりけものと思ふ山ほととぎす
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 雨中赤城登山の記念の一つであらう。負へる石かと子を迷ひといつたあの大雨の中で、石の崩れ落ちる山路で聞いたほととぎすは何としても猿のやうな形のけものの声としか思はれなかつた。その記憶があるので今でもほととぎすを聞くとそんな気がする。

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移り住む寂しとしたる武蔵野に一人ある日となりにけるかな
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 作者の設計に成る荻窪の家が落成して移られた当時の歌に 身の弱く心も弱し何しかも都の内を離れ来にけん 恋しなど思はずもがな東京の灯を目に置かずあるよしもがな など云ふのがあつて余程寂しかつたものに違ひない。何しろ荻窪の草分けで、東京へ通勤するものなどは一人も居なかつた時代のことであるから肯かれる。その寂しい思ひ出のある武蔵野に一人取り残されたのである。

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みくだもの瓜に塩してもてまゐる廊に野馬嘶く上つ毛の宿
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 胡瓜をむいてそれに塩をふりかけ、みくだものとして恭しく献上に及ぶ、その廊下には塩でも嘗めたい風に放牧の野馬が遊びに来て人なつかしく嘶く、これが上州の一宿屋の風景であるといふのであるが、これも赤城山上青木屋のそれであらう。

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思ひ出は尺取虫がするやうに克明ならず過現無差別
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 思ひ出といふものは尺取虫が尺をとりつつ進む様に規則正しくそれからそれと遡つたり又はその逆に昔から順を追つて思ひ出すなどといふものではない。過去現在一切無差別に一度に出て来て頭を混乱させる、それが今の私を苦しめる思ひ出[#「思ひ出」は底本では「思ひ出で」]の実態である。

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泣寝してやがてその儘|寝死《ねじに》してやさしき人の骸《から》と云はれん
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 作者には斯ういふ女らしいやさしい一面がある。その一面を抽出して手の平の上で愛撫してゐる心持、それがこの歌である。

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少女子が呼び集めたるもののごと白浜にある春の波かな
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 昭和十年早春偶※[#二の字点、1−2−22]上京した蘆屋の丹羽氏夫妻等と伊豆半島を一週し、その途上二月二十六日先生の六十三の誕生日が祝はれた。即ち 浅ましや南の伊豆に寿し君が[#「が」は底本では「か」]六十三春かこれ といふのがそれであるが、この行病を得て遂に起たず 歓びとしつる旅ゆゑ病得て旅せじと云ひせずなりにけり とそれが先生の最後の旅行になつてしまつた其の件、下田から白浜へ来て作られた歌の一つ。びちやびちや打ち寄せる静かな春の波の様子が情趣豊かにあらはされてゐる。又同じ波は 白浜の砂に上りて五百波暫し遊ぶを遂ふことなかれ とも歌はれてゐる。

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生れける新しき日に非ずして忘れて得たる新しき時
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 私達の間に新らしい日が産れて、その為に仲が
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