度、病院の門を潜つた。医者は衰弱してゐることのほかは何も云つてくれなかつた。それはむしろ僕を吻とさせた。このやうな恐ろしい飢餓の季節に、文無しの僕がどのやうな養生ができるのか。僕は、疲労しないやうに、疲労しないやうに、と、飢ゑ細つてゆく自分の体をなるべく、ただ静かにしてゐるだけであつた。だが、僕を視るこの家の細君の眼は、――それは僕がこの家で世話になりだした最初から穏やかではなかつたやうだが――次第に棘々しくなつてゐた。澱粉類の配給がばつたり杜絶えて、菜つぱと水ばかりで胃の腑を紛らしてゆく日がつづいてゐた。と、ある日たうとう、この家の細君の癇癪は爆発した。僕は地べたに叩き伏せられた犬のやうな気持がした。宿なしの罪業感が僕を発狂させさうだつた。僕は怯えはじめた。ひとりでに僕は、この家の人たちから隔離の状態に置かれた。主人は僕を憐むやうな眼つきで眺めてくれたが、もう遠慮がちに何も語らなかつた。細君は僕と顔を逢はすことを明かに避けてゐた。ただ内側に押し潰されて籠るものが、この家全体の無気味なものが、無言のまま僕をとりかこんだ。そして、これは僕がこの部屋にゐる限り絶えることのない苛責なのだ。

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