てくる運命のやうに僕の額に印されてゐるのではないか。漂泊、流浪――そんな言葉ではない。でんぐりかへつて、地上に墜落したのだ。僕の額の上を外のポンプの音が流れ、惨劇の影がゆれてゐる。僕はお前と死別れると、その土地の家を畳んで、郷里の広島へ移つた。すると、あの惨劇の日がやつて来た。それから、僕は寒村に移つて飢餓の月日を耐へてきた。それから僕はその村を脱出するやうに、この春上京して来た。しかし、僕を容れてくれた、ここの家も……。
ふと、僕はさつきの発作をおもひだして、どきり[#「どきり」に傍点]とする。とこの固い寝床にくつついてゐる自分の背なかに、階下のありさまが、一枚の薄い天井板を隔てて、鏡のやうに透視されてくる。階下はまだ、しーんとしてゐるのだが、この冷んやりした奇怪なガラスの家の底には、何とも云ひやうのない憂悶が籠つてゐるのだ。たしかに、僕はあの咳を、この家の細君の耳に聴きとられたやうな気がする。と、僕には、このガラスの家全体が、しーんとして僕の息の一つ一つまで聴きとる装置のやうにおもへてくるのだ。
前から僕はこの家の主人に、医者に診てもらへと、そつと注意されてゐた。恐る恐る僕は一
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