腔から僕の肺臓に吸はれてゆく。発作の終つた僕は、何ものかに甘えながら、もう一度睡つてゆかうとする。(空気つて、いいものだなあ。さうだよ、もう一度ゆつくりおやすみ。こんな透明な夜明けがあるかぎり……)僕の吸つてゐる空気はだんだん柔かくなつて、僕は羽根のやうに軽くなつてゆく。小さな窓から流れてくるこの空気は無限につづいてゐる。死んだお前も、僕も、それから一切が今むかふ側にあるやうだ、僕は……。僕は……。僕は安心して睡つてゆけるかもしれない。僕は医やされて元気になれるかもしれない。安心してゐよう。あんな優しい無限の透明が向側にあるかぎり……。僕は……。
 突然、僕の耳に手押ポンプの軋む音が、僕をずたずたに引裂く。窓のすぐ下の方にある隣家の手押ポンプだ。それが金切声で柔かい僕の睡りを引裂く。バケツからザアツと水が溢れてゆく。僕の頭は水の音とポンプの音でひつくり返り滅茶苦茶にゆすぶられてゐる。僕は惨劇のなかに生き残つた男だらうか、僕は惨劇の呻きに揺さぶられてゐるのではないか。……固い寝床にくつついてゐる自分の背なかが、かちんと僕に戻つてくる。僕は宿なしの身の上をかちんと意識する。それは朝毎に甦つ
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