魔のひととき
原民喜
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)肌理《きめ》のこまかい
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)どきり[#「どきり」に傍点]
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ここでは夜明けが僕の瞼の上に直接落ちてくる。と、僕の咽喉のなかで睡つてゐる咳は、僕より早く目をさます。咳は、板敷の固い寝床にくつついてゐる僕の肩や胸を揉みくちやにする。どんなに制しようとしても、発作が終るまでは駄目なのだ。僕は噎びながら、涙は頬にあふれる。だらだらと涙を流しながら、隣家の庭に咲いてゐる紫陽花の花がぽつと朧に浮んでくる。僕は泣いてゐるのだらうか、薄暗い庭に咲き残つてゐる紫陽花は泣かないのだらうか。死んだお前も、僕も、それから、このむごたらしい地上には、まだまだ沢山、こんな悲しい時刻を知つてゐる人がゐるはずだ。……
発作が終ると、僕は寝たまま手を伸べて枕頭の回転窓の軽いガラス窓を押す。すると、五インチほどの隙間から夜明けの冷んやりした空気が、この小さなガラス箱(部屋の中)に忍び込んでくる。その少し硬いが肌理《きめ》のこまかい空気は僕の顔の上に滑り込んでくる。僕の鼻
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