していた。翌日、私は甥を連れて雨の中を八幡村へ帰って行った。私についてとぼとぼ歩いて行く甥は跣《はだし》であった。
嫂は毎日絶え間なく、亡《な》くした息子《むすこ》のことを嘆いた。びしょびしょの狭い台所で、何かしながら呟いていることはそのことであった。もう少し早く疎開していたら荷物だって焼くのではなかったのに、と殆ど口癖になっていた。黙ってきいている次兄は時々思いあまって怒鳴ることがある。妹の息子は飢えに戦きながら、蝗《いなご》など獲《と》って喰《く》った。次兄の息子も二人、学童疎開に行っていたが、汽車が不通のためまだ戻って来なかった。長い悪い天気が漸く恢復《かいふく》すると、秋晴の日が訪れた。稲の穂が揺れ、村祭の太鼓の音が響いた。堤の路《みち》を村の人達は夢中で輿《こし》を担《かつ》ぎ廻ったが、空腹の私達は茫然と見送るのであった。ある朝、舟入川口町の義兄が死んだと通知があった。
私と次兄は顔を見あわせ、葬式へ出掛けてゆく支度《したく》をした。電車駅までの一里あまりの路を川に添って二人はすたすた歩いて行った。とうとう亡くなったか、と、やはり感慨に打たれないではいられなかった。
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