に見舞を云おうと思って隣室へ行くと、壁の剥《お》ち、柱の歪んだ部屋の片隅《かたすみ》に小さな蚊帳が吊《つ》られて、そこに彼は寝ていた。見ると熱があるのか、赤くむくんだ顔を茫然とさせ、私が声をかけても、ただ「つらい、つらい」と義兄は喘《あえ》いでいるのであった。
 私は姉の家で二三時間休むと、広島駅に引返し、夕方廿日市へ戻ると、長兄の家に立寄った。思いがけなくも、妹の息子の史朗がここへ来ているのであった。彼が疎開していた処も、先日の水害で交通は遮断《しゃだん》されていたが、先生に連れられて三日がかりで此処まで戻って来たのである。膝《ひざ》から踵《かかと》の辺まで、蚤《のみ》にやられた傷跡が無数にあったが、割と元気そうな顔つきであった。明日彼を八幡村に連れて行くことにして、私はその晩長兄の家に泊めてもらった。が、どういうものか睡苦《ねぐる》しい夜であった。焼跡のこまごました光景や、茫然とした人々の姿が睡れない頭に甦《よみがえ》って来る。八丁堀から駅までバスに乗った時、ふとバスの窓に吹込んで来る風に、妙な臭《にお》いがあったのを私は思い出した。あれは死臭にちがいなかった。あけがたから雨の音が
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