は波打つようだった。彼はその脇《わき》に横臥するようにして声をかけた。
「外はまだ薄暗かったよ。医者はすぐ来ると云っていた」
 妻は苦しみながらも頷いていた。妻が幼かったとき一度危篤に陥って、幻にみたという美しい花々のことがふと彼の念頭に浮んだ。
「しっかりしてくれ。すぐ医者はやってくるよ。ね、今度もう一度君の郷里へ行ってみよう」
 妻はぼんやり頷いた。玄関の戸が開いて医者がやって来た。医者の来たことを知ると、妻は更に辛《つ》らそうに喘《あえ》いで訴えた。
「先生、助けて、助けて下さい」
 医者は静かに聴診器を置くと、注射の用意をした。その注射が済むと、医者は彼を玄関の外に誘った。
「危篤です。知らすところへ電報を打ったらどうです」
 医者はとっとと立去った。彼は妻の枕頭に引返した。妻はまだ苦悶をつづけていた。
「どうだ、少しは楽になったか」
 妻は眼を閉じて嬰児《えいじ》のように頭を左右に振っていた。暫くすると、さきほどから続いていた声の調子がふと変って来た。
「あ、迅《はや》い、迅い、星……」
 少女のような声はただそれきりで杜切《とぎ》れた。それから昏睡《こんすい》状態とうめき声
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