がつづいた。もう何を云いかけても妻は応えないのであった。
 彼は急いで街へ出て、郷里の方へ電報を打っておいた。急いで家に戻って来ると、玄関のところで、まだ妻のうめき声がつづいているのを耳にした。その瞬間、今はそのうめき声がつづいていることだけが彼の唯一のたよりのようにおもえた。
 彼は妻の枕頭に坐ったまま、いつまでも凝としていた。時間は過ぎて行き、庭の方に朝の陽《ひ》が射《さ》して来た。あたりの家々からも物音や人声がして、その日は外界はいつもと変りない姿であった。昏睡のままうめき声をつづけている妻に「死」が通過しているのだろうか。いつかは、妻とそのことについてお互に話しあえそうな気もした。だが、妻のうめき声はだんだん衰えて行った。やがて、その声は一うねり高まったかと思うと、息は杜絶えていた。
[#地から2字上げ](昭和二十五年四月号『群像』)



底本:「夏の花・心願の国」新潮文庫、新潮社
   1973(昭和48)年7月30日初版発行
入力:tatsuki
校正:林 幸雄
2002年1月1日公開
2005年11月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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