美しき死の岸に
原民喜
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)頬《ほお》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四五|米《メートル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
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何かうっとりさせるような生温かい底に不思議に冷気を含んだ空気が、彼の頬《ほお》に触れては動いてゆくようだった。図書館の窓からこちらへ流れてくる気流なのだが、凝《じっ》と頬をその風にあてていると、魂は魅せられたように彼は何を考えるともなく思い耽《ふけ》っているのだった。一秒、一秒の静かな光線の足どりがここに立ちどまって、一秒、一秒のひそやかな空気がむこうから流れてくる。世界は澄みきっているのではあるまいか。それにしても、この澄みきった時刻がこんなにかなしく心に泌《し》みるのはどうしたわけなのだろう……。
ふと、視線を窓の外の家屋の屋根にとめると、彼にはこの街から少し離れたところにある自分の家の姿がすぐ眼に浮んできた。その家のなかでは容態のおもわしくない妻が今も寝床にいる。妻も今の今、何かうっとりと魅せられた世界のなかに呼
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