の姿をしていた。その時から孤独のきびしい世界が二人の眼の前に見えて来たようだった。彼は追詰められた気分のなかにも何か新しく心が研《と》がれて澄んでゆくようだった。それは多少の甘え心地を含んだ世界ではあったが、ぼんやりと夢のような救いがどこかに佇《たたず》んでいるのではないかと思えた。……熱にうるんだ妻の眼はベッドのなかでふるえていた。
「こないだ、三階から身投げした女がいるのです。あなたの病気は死ななきゃ治《なお》らないと云われて……」
 冷え冷えとした内庭に面した病室の窓から向側の棟《むね》をのぞむと、夕ぐれ近い乳白色の空気が硬《かた》い建物のまわりにおりて来て、内庭の柱の鈴蘭灯《すずらんとう》に、ほっと吐息のような灯がついていた。あのもの云わぬ灯の色は今でも彼の眼に残っているのだったが……。
 だが、彼はつい先日その大学病院を訪《たず》ねて行って大先生に来診を求めたときの情景がまざまざと甦ってくる。看護婦が持って来た四五枚のレントゲン写真を手にして眺め入ったまま、大先生は暫《しばら》く何も語らない。それから妻の入院中の診断書類を早目に一読していたが、
「それでは今日の夕方お伺いしま
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