。そこは何かざわざわして、窓の向に見える表通りには絶え間なしに通行人の姿が映画のやうに動いてゐた。ふと私には通行人の顔や、この部屋で行はれてゐる雑談や、毎月生産されるおびただしい文学作品が、すべては動いて止まぬ戦後の汎濫のやうにおもへて来るのだつた。その時、誰かが雑誌の批評をはじめてゐた。批評は小村菊夫の作品に触れ、軽く抹殺されるのだつた。その言葉は私の耳にはいつてゐた。だが、その言葉もやはり動いてやまぬ汎濫のなかに吸込まれてゆくやうだつた。会合がはねると、私は通行人の汎濫のなかをかきわけ、ひとり駅の方へ向つてゐた。すると、誰かが追ついて来て声をかけた。それは学校を出たばかりのEであつた。
「一緒に少しつきあつて下さい」と縁無眼鏡をかけた背の高い青年はギクシヤクするやうな身振りで私を誘つた。私たちは小さな屋台店に腰を下ろした。癇高い抑揚のある声でEは頻りに文学談をしかけるのだつたが、
「小村菊夫があんな風に取扱はれるとは情ないツことです」と烈しく抗議するやうに喋りだした。どこかEは戦争の疵と疼きがのこつてゐるやうな青年だつたが、私はそのEが小村菊夫の支持者であるばかりか、かなり親交のあ
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