…悼詞が済んで焼香が始まると、やがて私の順番も廻つて来た。私は祭壇に近づくと正面に飾つてある写真を灼けつくやうに見上げた。が、それが私の知つてゐた彼かどうか、写真は茫として不明瞭な印象だつた。と、その瞬間、私は擦れ違ふ急行列車の窓のこちら側から向側の窓をちらつと眺めてゐるのではないかとおもへた。
二
ある日曜日の午後、私は夕方の外食時間にはまだ少し間があつたので、駿河台下から明大裏手にあたるひつそりとした坂路をひとりぶらぶら歩いてゐた。私が今まで生きのびて行けたのはまるで奇蹟ではないかとおもはれる。昨年の今頃は途方に暮れながら真空のなかを泳ぎ廻つてゐたのだが、たまたま私はある知人の厚意でその人が所有してゐる神田の事務所の一室へ押しつまつたその年の暮に入れてもらふことができた。それ以来、私はずつとここにゐる。生活が追ひつめられてゐることに於ては今とても変りはないのだが、生きて行くといふことは、私にとつて絶えず何ごとかに堪へ、何ごとかを祈りつづけることなのだらうか……私は歩きながらそんなことを考へてゐた。と、私の目にふれる壁の上の赤らんだ蔦の葉や枯れのこる葉鶏頭が幻か何かの
前へ
次へ
全17ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング