僕はオベリスクに刻られた文字を眺める。僕は驚く。僕は呟く。

 原子爆弾記念館

 僕はふらふら階段を昇つてゆく。僕は驚く。僕は呟く。僕は訝る。階段は一歩一歩僕を誘ひ、廊下はひつそりと僕を内側へ導く。ここは、これは、ここは、これは……僕はふと空漠としたものに戸惑つてゐる。コトコトと靴音がして案内人が現れる。彼は黙つて扉を押すと、僕を一室に導く。僕は黙つて彼の後についてゆく。ガラス張りの大きな函の前に彼は立留る。函の中には何も存在してゐない。僕は眼鏡と聴音器の連結された奇妙なマスクを頭から被せられる。彼は函の側にあるスヰツチを静かに捻る。……突然、原爆直前の広島市の全景が見えて来た。
 ……突然、すべてが実際の現象として僕に迫つて来た。これはもう函の中に存在する出来事ではなささうだつた。僕は青ざめる。飛行機はもう来てゐた。見えてゐる。雲のなかにかすかに爆音がする。僕は僕を探す。僕はゐた。僕はあの家のあそこに……。あのときと同じやうに僕はゐた。僕の眼は街の中の、屋根の下の、路の上の、あらゆる人々の、あの時の位置をことごとく走り廻る。僕は叫ぶ。(厭らしい装置だ。あらゆる空間的角度からあらゆる
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