の標本のやうに子供は河淵に横はつてゐた。それから死の標本はいたるところに現れて来た。
 人間の死体。あれはほんたうに人間の死骸だつたのだらうか。むくむくと動きだしさうになる手足や、絶対者にむかつて投げ出された胴、痙攣して天を掴まうとする指……。光線に突刺された首や、喰ひしばつて白くのぞく歯や、盛りあがつて喰みだす内臓や……。一瞬に引裂かれ、一瞬にむかつて挑まうとする無数のリズム……。うつ伏せに溝に墜ちたものや、横むきにあふのけに、焼け爛れた奈落の底に、墜ちて来た奈落の深みに、それらは悲しげにみんな天を眺めてゐるのだつた。
 人間の屍体。それは生存者の足もとにごろごろと現れて来た。それらは僕の足に絡みつくやうだつた。僕は歩くたびに、もはやからみつくものから離れられなかつた。僕は焼けのこつた東京の街の爽やかな鈴懸の朝の舗道を歩いた。鈴懸は朝ごとに僕の眼をみどりに染め、僕の眼は涼しげなひとの眼にそそいだ。僕の眼は朝ごとに花の咲く野山のけはひをおもひ、僕の耳は朝ごとにうれしげな小鳥の声にゆれた。自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。僕を生かして僕を感動させるものがあるなら
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