すかな救ひだつたのかもしれない。重傷者の来て呑む泉。つぎつぎに火傷者の来て呑む泉。僕はあの泉あるため、あの凄惨な時間のなかにも、かすかな救ひがあつたのではないか。泉。泉。泉こそは……。その救ひの幻想はやがて僕に飢餓が迫つて来たとき、天上の泉に投影された。僕はくらくらと目くるめきさうなとき、空の彼方にある、とはの泉が見えて来たやうだ。それから夜……宿なしの僕はかくれたところにあつて湧きやめない、とはの泉のありかをおもつた。泉。泉。泉こそは……。
 僕はいつのまにか記念館の外に出て、ふらふら歩き廻つてゐる。群衆は僕の眼の前をぞろぞろ歩いてゐるのだ。群衆はあのときから絶えず地上に汎濫してゐるやうだ。僕は雑沓のなかをふらふら歩いて行く。僕はふらふら歩き廻つてゐる。僕にとつて、僕のまはりを通りこす人々はまるで纏りのない僕の念想のやうだ。僕の頭のなか、僕の習癖のなか、いつのまにか、纏りのない群衆が汎濫してゐる。僕はふと群衆のなかに伊作の顔を見つけて呼びとめようとする。だが伊作は群衆のなかに消え失せてしまふ。ふと、僕の眼にお絹の顔が見えてくる。僕が声をかけやうとしてゐると彼女もまた群衆のなかに紛れ失
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