じ体験をした人たちが、もし後日あの事を書いたり語らうとすると、次第に制し得ぬ興奮や誇張がつけ加はるだらうと考へてゐる。そしてそれはまた実に止むを得ないことでもあるのだ。原子爆弾のことならこれこそは人類の全運命を左右する鍵なのだから、人はどのやうに興奮しても強調してももうこれでいいといふ限度には到達しない。現に僕の観念のなかでも、その後、膨れ上つたものや歪められたものが波状に揺れ返り、絶えず見えないところにあつて閃く光線があるやうだ。僕は今度はじめて永井隆氏の「長崎の鐘」を読む機会を得た。あの体験記を読んだ直後僕はやはり妙な興奮状態になつた。その夜、電車通を横切らうとすると、何かに躓いて僕はパタンと前へ倒された。僕は惨劇のなかにゐるような気がしたものだ。
昭和二十年八月九日、僕が壕のなかで縮こまつてゐる時、あれ[#「あれ」に傍点]は長崎を訪れたのである。長崎医大の外来診察室であれ[#「あれ」に傍点]に見舞はれた永井氏はその時のことをかう書いてゐる。
「目の前にぴかつと閃いた。……私はすぐ伏せようとした。その時すでに窓はすぽんと破られ、猛烈な爆風が私の体をふわりと宙にふきとばした。私は大
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