んな地名や場所がまだ存在してゐるのかしらと遭難者である僕はその時考へてゐたものだ。警報が出るたびに、あれ[#「あれ」に傍点]は僕たちを脅かしつづけた。
 僕があれ[#「あれ」に傍点]の名称を知つたのは八月十六日だつた。新聞の届かない僕たちのところへ、町からやつて来た甥がゲンシと耳なれぬ発音をした。と、ゲンシといふ音から僕はいきなり原始といふイメージが閃いた。あの僕の眼に灼きつけられてゐる赤く爛れたむくむくの死体と黒焦の重傷者の蠢く世界が、何だか原始時代の悪夢のやうにおもへた。ふと全世界がその悪夢の方へづるづる滑り墜ちるのではないかとおもへたものだ。
 しかし、もう戦争は終つてゐたのだ。戦争は終つたのだといふ感動が、それから間もなく僕に「夏の花」を書かせた。あのやうに大きな事柄に直面すると、人間のもつ興奮や誇張感は一応静かに吹きとばされるやうである。僕は自分が体験した八月六日の生々しい惨劇を、それがまだ歪まないうちに、出来るだけ平静に描いたつもりである。
 その後、僕は原子爆弾について他人の作品や記録は全然読む機会がなかつた。が、時の経つに随つて、人間の記憶は歪み表現は膨れ上るから僕と同
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