て行くらしかつた。急変がないのをみて、廿日市の長兄たちも一まづ帰つて行つた。

 危篤状態は過ぎたらしかつたが、まだ甥は絶えず頭を氷で冷やしづづけ、医者は毎日注射をつづけた。嫂はせつせと村の小路を走り廻つて氷や牛乳や卵を求め看護しつづけた。そこの家を吹飛ばしさうな、ひどい颱風が訪れたときも、甥は寝たままでまだ動けなかつた。
 長雨や嵐の陰惨な時期がすぎると、やがて秋晴れの好天気がつづいた。村では久振りに里祭が行はれ、すぐ前の田の向に見える堤の上を若衆が御輿を担いで騒ぎ廻つた。だが、私たちは空腹の儘その賑はひを見送つてゐた。その祭りの賑はひの最中のことであつた。階下で急に甥の泣き叫ぶ声がして、嫂の烈しく罵る声がした。あまり激越な調子なので何事がおこつたのかとおもつた。
「死んだ方がよかつた」と甥は私がやつて来たのを見ると、また抗議するやうに低い声で呟いた。
「くそ意気地なし。誰のお蔭で助かつたのか。ひとが一生懸命看護してやつたのも忘れて」と嫂はまだ興奮してゐる。
「どうしたのです」
「今さき村の子供がここを通りながらこちらを覗き込んで『禿がゐる、禿がゐる』と罵つたのです」
「悪い子供だな
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