でも生じたのか、頻りに青い小さな羽虫のやうな焔がちらついてゐた。それは歩くたびに煩いほどつきまとつて来た。家に着くと、私たちは甥の枕頭に坐り込んだ。甥はいつのまにか、綺麗な縞の絹の着物を着せられ、禿げ上つた頭と細い顔は陶器のやうに青ざめてゐた。鼻腔には赤く染まつた綿が詰められてゐた。枕頭の金盥は吐くもので真赤だつた。それでも甥はパツチリと黒い眼をあけ、ときどき苦しげに悶えた。
「がんばれよ」と次兄は側から低い声で励ました。甥の枕頭には一枚の葉書が置いてあつた。それはあのとき一緒に逃げた友達の親許から寄来された死亡通知であつた。みんなはそつとその葉書をみて押黙つた。
「際の際まで、意識は明瞭だといふことです」と嫂は声を潜めた。夜が更けてゐたので、私たちは一まづ二階へ引あげた。私はいつ呼び起されるかしれないつもりで、夜具に潜つた。陰惨な光景にはあきあきするほど遭遇してゐたが、さつき見た甥の姿は眼に沁みるのだつた。だが、階下の方はひつそりとして何の変つた気配もなかつた。そのまま夜は明けて行つた。朝になると、みんなは吻とした。何だか助かつたのではないかといふ気持が支配した。事実、甥は持ちこたへ
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