もしれませんが。
 文壇もちよつとした原子爆弾を見舞はれた形だね――と光太は云つて寄来しましたが面白い比喩だと思ひます。火を消さないで持ちこたへた人は多いいやうで、案外少いのではないのでせうか。若くて戦禍に巻込まれた人達が立ちあがるのもまだ将来のことでせう。それにつけても特に啓蒙的の方面で貴兄たちの奮闘を祈ります。
 和木夫妻は南京でどうしてゐるのかさつぱりわかりません。村岡は満洲に居るらしいです。美樹は九月のはじめに復員して帰つて来ました。罹災者たちの世話焼に大童でよく活躍してくれますが母親との折合は悪く早く上京したいと嘆息もして居ります。廿日市に疏[#「疏」に「(ママ)」の注記]開してゐた兄の方は今も何不自由なく暮して居り、むしろ焼けぶとりらしく、いづれ一旗あげると気をよくして居ります。ところが恭子などは、闇の話にのぼせ日夜前途の不安に脅えてべちやくちやと僕の傍で喋べくるのですからかなひません。
 この辺でペンを擱きます。
 十一月にはお逢ひしたいものですね。お元気で。
[#地から3字上げ]十月三十一日 原民喜

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永井善次郎様
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