涯は既に終ったといってよかった。妻の臨終を見た彼には自分の臨終も同時に見とどけたようなものだった。たとえこれからさき、長生したとしても、地上の時間がいくばくのことがあろう。生きて来たということは、恨にすぎなかったのか、生きて行くということも悔恨の繰返しなのだろうか。彼は妻の骨を空間に描いてみた。彼の死後の骨とても恐らくはあの骨と似かよっているだろう。そうして、あの暗がりのなかに、いずれは彼の骨も収まるにちがいない。そう思うと、微かに、やすらかな気持になれるのだった。だが、たとえ彼の骨が同じ墓地に埋められるとしても、人間の形では、もはや妻とめぐりあうことはないであろう。
三日ばかり部屋に閉籠って憂悶を凝視していると、眼は酸性の悲しみで満たされていた。雨があがると、彼は家を出て郷里の街をぶらぶら歩いてみた。足はひとりでに、墓地の方へ向った。彼は墓の前に暫く佇《たたず》んでいたが、寺を出ると、橋を渡って川添の公園の方へ向った。秋晴れの微風が彼の心を軽くするようだった。何もかも洗い清められた空気のなかに溶け込んでゆくようで天空のかなたにひらひらと舞いのぼる転身の幻を描きつづけた。
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