。僕にとつて二年間もつづいた飢餓感覚は今もまだ僕を脅かしてゐるのだが、僕はその黄色なものの存在に対して子供らしい安心感を抱くやうになつた。ところが、僕の周囲で忙しげに食事をしてゐる人たちは、どうかすると、その団子だけをテーブルの上に放り出して行く。(さうだ、彼等はとにかく僕よりはましな暮しをしてゐるのだな)と僕は時々その見捨てられた団子の数に驚かされる。ここへ集まつて来る人々は細つそりと生気ない顔をした仲間と、てらてら卑しげな表情の連中とが水と油のやうに、しかし、まぜごちやになつて並んでゐる。僕は朝夕の行列の中で、ふと淋しげな眼の色の婦人を見かけたことがある。大きな通勤カバンを抱へたその婦人は朝の食堂で昼の食糧を弁当箱に詰め込んでゐた。だが、ここへ集まつて来る婦人は大概、爪さきを真紅に染めた若い女たちだ。さうした女たちはもう放縦なポーズが身についてゐるのか、壁とテーブルの間の狭い通路は席のあくのを待つ人々で一杯なのに、椅子を壁に凭掛けて脚をテーブルの上にやり何かを嘲けるやうに身を反りかへしてゐる。
 僕は食堂を出てアスフアルトの道路の方へ歩いて行く。軒の密集した小路から、そこへ出ると、
前へ 次へ
全27ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング