感覚がした。僕は大きく息を吸つて、両脚を突張らねばならなかつた。
君はその愛人のなかに神を見出し、この地上で被つた魂のかずかずの痛手をこの地上で、こんどこそほんとに医やすのだといふ。そして、そのためには君が建てた東京の家と家財一切は金輪際、捨てて顧みないといふのか。君がこれまで人間のできうる限りの忍耐力で堪へてゐたものも僕にはわかるやうな気がする。だから君にとつては、こんどのことも……だが、それにしても、そしてこれは……これらはすべて容易ならぬことに違ひないのだ。不思議な友よ、悲しい友よ、僕は君をよく知つてゐるはずなのに、ほんたうはまるで知つてゐないとも云へるのだ。そのくせ君の存在は遠くから僕をゆさぶり、僕に何ものかを放射してくる。戦時中、君が牢獄から出ていきなり鋭い詩を書きだした時も、ハツと僕を驚かした。終戦後、一刻も早く東京へ出て来いと云つてくれた君の葉書は忽ち僕を弾いた。そして今度も、何か容易ならぬものが、僕の胸を締めつける。……殆ど絶え間なしに、こんな独白を繰返しながら、僕はその夜もいつもの如くおづおづとあの家に帰つて行つた。何ごとも知らないその家の細君は、その家の奧にひつそ
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