台や卓袱台が僕の目の前にあり、押入の中には自堕落な暮し振りがはつきり見えてくる。しかし、それは僕の知つたことではない。僕は僕の周囲にある無関係の物質から影響されたくはないのだ。だが、僕の眼の前の窓ガラスには大きな穴があつて、そこへ貼られた半紙は皺くちやになつてゐて、そして今にもとれてしまひさうなのだ。ガラス戸の桟は歪んで緩るみ、開け立てするたびにぐらぐらする。壁も畳も襖も滅茶苦茶に汚なく、時々、プーンと芥溜の臭ひがする。それから……、この部屋の周囲にある陰惨な空気について云へば殆ど限りがなかつた。部屋は廊下と同一平面の高さにあるので、外をガタガタ歩く下駄の音は寝てゐる僕の枕頭に直接響いて来る。階段の脇の光線のあたらぬ流場は煤けた蜘蛛の巣か何かのやうに真黒だつたが、僕はその水道の栓を捻つてみると、水は一滴も出なかつた。水道はもう数年前から壊れてゐたのだ。通風のわるい狭い廊下では部屋毎に薪を燃やす。その煙は建物の中を匐い、容赦なく僕の目や鼻を襲つた。僕は外から帰つてこのアパートに入ると、入口のところでむんむんする人間の異臭のかたまりと出あふ。躓きさうな階段をのぼつて薄暗い廊下の方へ来ると、
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