溜息をついて、「昨夜いろんなことを考へるととても眠れなかつたのです」と、なほもごそごそ細かい品物を引掻廻してゐた。しかし僕から残金を受取ると、女は急に真面目さうな顔になり、
「では今日からこの部屋を使つて下さい」と小声で呟いた。それからふと何か説明しにくい纏らないことを喋る時のやうに、こんなことを云ふのだつた。
「私はすぐ出て行きます。ですけれど、これからもやはり時々はお邪魔させて頂きますよ。それから鍵を一つ、この方を預けておきます。気をつけて下さい。ここのアパートでは品物がよく無くなりますから、鍵だけはお願ひします」
 それから暫く荷拵へをしてゐたが、やがて大きな包みを背に負ふと両手に籠や風呂敷包を持つて出掛けて行つた。相手が出て行くと、僕は自分の荷物のことを考へながら、そこの押入を開けてみた。押入はまだ半分以上、女の荷物で塞がつてゐた。これではどうにもならなかつたが、差当つて僕は夜具だけでも向ふの下宿から運ばうと思つた。
 僕はその夜そこのアパートへ夜具を運んで来ると、その時からその部屋での僕の生活が始まつた。だが、これはほんとに僕の部屋なのだらうか……。ここには女の残して行つた鏡
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