いふよりほかなかつた。どうかすると、僕は自分の部屋でもないこの部屋に(もつとも、さうでもするより他はなかつたのだが……)うつかり安定感を抱きかけてゐた。しかし、甥の要求の手紙は度重なり、その調子もだんだん激越になつてゐた。僕はそろそろ逃亡の準備をしておかねばならなかつた。
ある日、たうとう甥はこの部屋に戻つて来た。学生服の甥は部屋の障子をあけると、黙つて廊下の外に立ちどまつてゐた。僕はその顔を見た瞬間はつとして、あ、これはもう駄目だな、と思つた。それはもう顔とも云へない位、怒りにはち切れさうな顔だつた。こんな風な顔なら、僕にはいくつも思ひあたることがあるのだ。甥は廊下の外に立つてゐるもう一人の学生服を顧みて、「はいれよ」と云つた。友人らしいその男は部屋に入つて来ると、僕に軽く会釈した。僕は甥に何とか言葉を掛けようと思つてもぢもぢした。だが、甥の顔の筋肉は硬直してピリピリ痙攣してゐた。
「もう二三日待つてくれないか、とにかくもう二三日」僕は漸くこれだけ云ふと、やがてその部屋を出て行つた。いや、僕が部屋を出たといふより、痙攣が僕をあの部屋から押出したのだ。僕は密集した軒の小路を抜けて、広
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