りと存在してゐたやうだし、その家の模様は僕がそのことを知らなかつた前とちよつとも違つてはゐなかつた。だが、僕はどうしても、もう直ちにその家を引揚げねばならぬ男だつた。
それから間もなく僕は甥の下宿へ一時、身を置くことになつた。彼は郷里から先輩の宿を頼つて受験に来て、その先輩が卒業したのと入替りに簡単にあとの部屋を譲り受けてゐた。この未成年の甥は僕のやうな窮迫をとても理解するのではなかつたが、ただ休暇中だけといふ約束で渋々と承知してくれた。もう甥の学校は夏になるかならないうちに休暇になつてゐた。僕は甥が帰郷すると入れ違ひに、この部屋に移つて来た。それから、ここでの仮りの生活がはじまつた。
この下宿屋の階下の薄暗い部屋は、ここの主人とその母親だけの棲居になつてゐるのだが、品のいい老女とその若い息子は、まだ昔ながらの静かな澱みのなかに生き残つてゐるやうだ。二人が話しあつてゐる声まで、しつくりと穏やかに潤ひがあつて、まるでここへは災厄の季節も侵入しなかつたのかとおもへる。僕はある夕方、台所でその婆さんと身上話をしてゐた。
「原子爆弾……大変な目にあはれたのですね」
静かな緊迫した調子だつたが、それだけの言葉で僕はふと深いところに触られたやうな不思議な気持がした。ある日、僕は知人から貰つた五合の米を甥の置いて行つた鍋で少し炊いてみようとおもつた。下宿の狭い薄暗い台所には小さな流場があつたが、鍋に水道の水を満たし指で白米を掻きまぜた瞬間、僕はこの流場が昔の僕の家の流場とそつくりのやうな錯覚がした。僕が妻と死別れた夏、その頃はもう女中も傭へなかつたので、僕はよく台所で炊事をしたものだ。炊事も洗濯も縫ものもとにかく不器用ながら出来るやうになつたとき僕の妻は死んだ。その後、僕は旅先の住居を畳んで広島の兄の家に移つた。(まるで広島の惨劇に遭ふために移つたやうなものだつたが、)それからも絶えず他所の家で厄介になりつづけてゐたので僕はもう台所のことを忘れかけてゐた。いま僕は自分の指を鍋の水に浸すと、急に自分の指がふと歓びに甦つたやうにおもへた。すぐ向ふの部屋には病妻が寝てゐて、僕は台所でごそごそ用事をした。長らく病床にゐながら妻は台所のこまごました模様を僕よりはつきり憶えてゐた。あれはつひ昨日のことのやうで、あの片隅はまだそこにあるやうに思へるのだが、実際はもう涯てしもない遠い世界の
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