今も彼の棲《す》んでいる家だったが――は海の見える茫漠《ぼうばく》とした高台の一隅にあった。彼はその家のなかで傷ついた獣のように呻吟《しんぎん》していた。狭い庭にある二本の黐《もち》の樹の燃えたつ青葉が油のような青空を支《ささ》えていて、ほど遠からぬところにある野づらや海のいきれがくらくらと彼の額に感じられた。朝の陽光がじりじりと縁側の端を照りつけているのを見ただけでも彼は堪《たま》らない気持をそそられる。すべては烈《はげ》しすぎて、すべては彼にとって強すぎたのだ。しーんとした真昼、彼は暑さに喘《あえ》ぎながら家のうちの涼しそうなところを求めていたが、風呂場の流板の上に小桶《こおけ》に水を満たすと、ものに憑《つ》かれたようにぼんやりと視入《みい》った。小さな器の水ながら、それは無限の水の姿に拡《ひろが》ってゆく。と彼の視野の底に肺を病んで死んで行った一人の友人の姿が浮ぶ。外部の圧迫に細り細りながら、やがて瀕死《ひんし》の眼に把《とら》えられたものは、このように静かな水の姿ではなかろうかと……。
奇怪な念想は絶えず彼につきまとっていた。午睡の覚《さ》めた眼に畳の目は水底の縞《しま》のよ
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