広島が助かるかもしれないと思いだした人間は、この大谷ひとりではなかった。一時はあれほど殷賑《いんしん》をきわめた夜の逃亡も、次第に人足が減じて来たのである。そこへもって来て、小型機の来襲が数回あったが、白昼、広島上空をよこぎるその大群は、何らこの街に投弾することがなかったばかりか、たまたま西練兵場の高射砲は中型一機を射落したのであった。「広島は防げるでしょうね」と電車のなかの一市民が将校に対《むか》って話しかけると、将校は黙々と肯《うなず》くのであった。……「あ、面白かった。あんな空中戦たら滅多に見られないのに」と康子は正三に云った。正三は畳のない座敷で、ジイドの『一粒の麦もし死なずば』を読み耽《ふ》けっているのであった。アフリカの灼熱《しゃくねつ》のなかに展開される、青春と自我の、妖《あや》しげな図が、いつまでも彼の頭にこびりついていた。
清二はこの街全体が助かるとも考えなかったが、川端に臨んだ自分の家は焼けないで欲しいといつも祈っていた。三次《みよし》町に疎開した二人の子供が無事でこの家に戻って来て、みんなでまた河遊びができる日を夢みるのであった。だが、そういう日が何時《いつ》
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