かった。馬車がやって来た朝は、みんな運搬に急がしく、順一はとくに活気づいた。ある時、座敷に敷かれていた畳がそっくり、この馬車で運ばれて行った。畳の剥《は》がれた座敷は、坐板だけで広々とし、ソファが一脚ぽつんと置かれていた。こうなると、いよいよこの家も最後が近いような気がしたが、正三は縁側に佇《たたず》んで、よく庭の隅《すみ》の白い花を眺めた。それは梅雨頃から咲きはじめて、一つが朽ちかかる頃には一つが咲き、今も六|瓣《べん》の、ひっそりした姿を湛《たた》えているのだった。次兄にその名称を訊《き》くと、梔子《くちなし》だといった。そういえば子供の頃から見なれた花だが、ひっそりとした姿が今はたまらなく懐《なつか》しかった。……
「コレマデナンド クウシュウケイホウニアッタカシレナイ イマモ カイガンノホウガ アカアカトモエテイル ケイホウガデルタビニ オレハゲンコウヲカカエテ ゴウニモグリコムコノゴロ オレハ コウトウスウガクノケンキュウヲシテイルノダ スウガクハウツクシイ ニホンノゲイジュツカハ コレガワカラヌカラダメサ」こんな風な手紙が東京の友人から久し振りに正三の手許《てもと》に届いた
前へ 次へ
全66ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング