も参加出来ず、時たま国民学校へ通っていた。八月六日も恰度《ちょうど》、学校へ行く日で、その朝、西練兵場の近くで、この子供はあえなき最後を遂《と》げたのだった)
……暫く待っていても別状ないことがわかると、康子がさきに帰って行き、つづいて正三も清二の門口を出て行く。だが、本家に戻って来ると、二枚重ねて着ている服は汗でビッショリしているし、シャツも靴下も一刻も早く脱捨ててしまいたい。風呂場で水を浴び、台所の椅子に腰を下ろすと、はじめて正三は人心地《ひとごこち》にかえるようであった。――今夜の巻も終った。だが、明晩《あす》は。――その明晩も、かならず土佐沖海面から始る。すると、ゲートルだ、雑嚢だ、靴だ、すべての用意が闇のなかから飛びついて来るし、逃亡の路は正確に横わっていた。……(このことを後になって回想すると、正三はその頃比較的健康でもあったが、よくもあんなに敏捷《びんしょう》に振舞えたものだと思えるのであった。人は生涯に於《お》いてかならず意外な時期を持つものであろうか)
森製作所の工場疎開はのろのろと行われていた。ミシンの取はずしは出来ていても、馬車の割当が廻って来るのが容易でな
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