く頼む」
「空襲警報が出たら逃げるつもりだが……」正三が念を押すと順一は頷《うなず》いた。
「駄目らしかったらミシンを井戸へ投込んでおいてくれ」
「蔵の扉を塗りつぶしたら……今のうちにやってしまおうかしら」
 ふと、正三は壮烈な気持が湧《わ》いて来た。それから土蔵の前に近づいた。かねて赤土は粘《ね》ってあったが、その土蔵の扉を塗り潰《つ》ぶすことは、父の代には遂《つい》に一度もなかったことである。梯子《はしご》を掛けると、正三はぺたぺたと白壁の扉の隙間《すきま》に赤土をねじ込んで行った。それが終った頃順一の姿はもうそこには見えなかった。正三は気になるので、清二の家に立寄ってみた。「今夜が危いそうだが……」正三が云うと、「ええ、それがその秘密なのだけど近所の児島さんもそんなことを夕方役所からきいて帰り……」と、何か一生懸命、袋にものを詰めながら光子はだらだらと弁じだした。
 一とおり用意も出来て、階下の六畳、――その頃正三は階下で寝るようになっていた、――の蚊帳《かや》にもぐり込んだ時であった。ラジオが土佐沖海面警戒警報を告げた。正三は蚊帳の中で耳を澄ました。高知県、愛媛県が警戒警報にな
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