の下で、明日をも知れない脅威のなかで、これは飯事遊《ままごとあそび》のように娯《たの》しい一ときであった。
 ……本家の台所を預かるようになってからは、甥《おい》の中学生も「姉さん、姉さん」とよく懐《なつ》いた。二人のうち小さい方は母親にくっついて五日市町へ行ったが、煙草の味も覚えはじめた、上の方の中学生は盛場の夜の魅力に惹《ひ》かれてか、やはり、ここに踏みとどまっていた。夕方、三菱工場から戻って来ると、早速《さっそく》彼は台所をのぞく。すると、戸棚《とだな》には蒸パンやドウナッツが、彼の気に入るようにいつも目さきを変えて、拵えてあった。腹一杯、夕食を食べると、のそりと暗い往来へ出掛けて行き、それから戻って来ると一風呂浴びて汗をながす。暢気《のんき》そうに湯のなかで大声で歌っている節まわしは、すっかり職工気どりであった。まだ、顔は子供っぽかったが、躯《からだ》は壮丁なみに発達していた。康子は甥の歌声をきくと、いつもくすくす笑うのだった。……餡《あん》を入れた饅頭《まんじゅう》を拵え、晩酌の後出すと、順一はひどく賞《ほ》めてくれる。青いワイシャツを着て若返ったつもりの順一は、「肥《ふと》
前へ 次へ
全66ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング