ったではないか、ホホウ、日々に肥ってゆくぞ」と機嫌よく冗談を云うことがあった。実際、康子は下腹の方が出張って、顔はいつのまにか二十代の艶《つや》を湛《たた》えていた。だが、週に一度位は五日市町の方から嫂が戻って来た。派手なモンペを着た高子は香料のにおいを撒きちらしながら、それとなく康子の遣口《やりくち》を監視に来るようであった。そういうとき警報が出ると、すぐこの高子は顔を顰《しか》めるのであったが、解除になると、「さあ、また警報が出るとうるさいから帰りましょう」とそそくさと立去るのだった。
……康子が夕餉《ゆうげ》の支度《したく》にとりかかる頃には大概、次兄の清二がやって来る。疎開学童から来たといって、嬉《うれ》しそうにハガキを見せることもあった。が、時々、清二は「ふらふらだ」とか「目眩《めまい》がする」と訴えるようになった。顔に生気がなく、焦躁《しょうそう》の色が目だった。康子が握飯を差出すと、彼は黙ってうまそうにパクついた。それから、この家の忙しい疎開振りを眺めて、「ついでに石灯籠《いしどうろう》も植木もみんな持って行くといい」など嗤《わら》うのであった。
前から康子は土蔵の中
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