え、練習は順調に進んでいた。足が多少|跛《びっこ》の青年がでてくると、教官は壇上から彼を見下ろした。
「職業は写真屋か」
「左様でございます」青年は腰の低い商人口調でひょこんと応《こた》えた。
「よせよ、ハイ、で結構だ。折角、今|迄《まで》いい気分でいたのに、そんな返事されてはげっそりしてしまう」と教官は苦笑いした。この告白で正三はハッと気づいた。陶酔だ、と彼はおもった。
「馬鹿馬鹿しいきわみだ。日本の軍隊はただ形式に陶酔しているだけだ」家に帰ると正三は妹の前でぺらぺらと喋《しゃべ》った。
今にも雨になりそうな薄暗い朝であった。正三はその国民学校の運動場の列の中にいた。五時からやって来たのであるが、訓示や整列の繰返しばかりで、なかなか出発にはならなかった。その朝、態度がけしからんと云って、一青年の頬桁《ほおげた》を張り飛ばした教官は、何かまだ弾む気持を持てあましているようであった。そこへ恰度《ちょうど》、ひどく垢《あか》じみた中年男がやって来ると、もそもそと何か訴えはじめた。
「何だと!」と教官の声だけが満場にききとれた。「一度も予習に出なかったくせにして、今朝だけ出るつもりか」
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