五月に入ると、近所の国民学校の講堂で毎晩、点呼の予習が行われていた。それを正三は知らなかったのであるが、漸くそれに気づいたのは、点呼前四日のことであった。その日から、彼も早目に夕食を了《お》えては、そこへ出掛けて行った。その学校も今では既に兵舎に充《あ》てられていた。燈の薄暗い講堂の板の間には、相当年輩の一群と、ぐんと若い一組が入混っていた。血色のいい、若い教官はピンと身をそりかえらすような姿勢で、ピカピカの長靴《ちょうか》の脛《すね》はゴムのように弾《はず》んでいた。
「みんなが、こうして予習に来ているのを、君だけ気づかなかったのか」
 はじめ教官は穏かに正三に訊ね、正三はぼそぼそと弁解した。
「声が小さい!」
 突然、教官は、吃驚《びっくり》するような声で呶鳴《どな》った。
 ……そのうち、正三もここでは皆がみんな蛮声の出し合いをしていることに気づいた。彼も首を振るい、自棄《やけ》くそに出来るかぎりの声を絞りだそうとした。疲れて家に戻ると、怒号の調子が身裡《みうち》に渦巻いた。……教官は若い一組を集めて、一人一人に点呼の練習をしていた。教官の問に対して、青年たちは元気よく答
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