顔は変貌する。人間は一瞬の閃光《せんこう》で変貌する。長い長い不幸が人間を変貌させたところで、何の不思議や嘆きがあろう。――日夜、その家の細君のいかつい顔つきに脅えながら僕はひとり心に囁いていた。
 紅の衣服に育てられし者も今は塵堆《じんたい》を抱く……乞食《こじき》のような足どりで、僕は雑沓のなかや、焼跡の路を歩いた。焼跡の塵堆に僕の眼はくらくらし、ひだるい膝《ひざ》は前につんのめりそうだった。と頭上にある青空が、さっと透き徹って光を放つ。(この心の疼《うず》き、この幻想のくるめき)僕は眼も眩《くら》むばかりの美しい世界に視入《みい》ろうとした。
 それから、僕を置いてくれていたその家の主人は、ある日旅に出かけると、それきり帰って来なかった。暫くして、その友人は旅先で愛人を得ていて、もう東京へは戻って来ないことが判《わか》った。それから僕はその家を立退《たちの》かねばならなかった。それから僕は宿なしの身になっていたのだが、それから……。苦悩が苦悩を追って行く。――つみかさなる苦悩にむかって跪《ひざまず》き祈る女がいた。
「一度わたしは鏡でわたしの顔を見せてもらった。あれはもうわたしで
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