速度といえば、やはり石川淳の『明月珠』『焼跡のイエス』などを思い浮かべます。あのピンと緊張した極から極へまっしぐらに読者を追いつめてゆく手は、何というスタイルの魔力なのでしょう。この人はもう身から出た錆を身につけた独自の風格さえあって、なかなかちょっとかなわないようです。伊藤整の鳴海仙吉ものも時々、私をハッとさせます。これは自意識の処理、小説叙法の装置――などと云うと変てこですが――について新分野を拓いてゆくものではないでしょうか。
 丹羽文雄の『蕩児』や船山馨の『現在』を読むと、デフォルメされた世相が一応巧みにひびいて来ます。ことに船山馨の場合、烈しい自虐の調子が人を惹きつけるのですが、それでいて、読後の物足りなさ、うそ寒さは一体どういう訳なのでしょう。
『近代文学』創刊号以来、毎号執筆している埴谷雄高の『死霊』には、この作者のその身魂を投じて悔いない心意気につくづく頭がさがります。これこそは日本に嘗てなかった小説の世界を築くものでしょう。今迄読んだ部分だけでも、作中人物の対話の嶄新さ、夢や狂気にまで滲透してゆく心理の翳など大変なものですが、現在のような環境であのような仕事を続けて行
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