に笑ひかけたが、少年達は不快さうな表情をして、哄笑しながら行つてしまつた。直吉は、いま、さうした昔の或日の自分の生活を、思ひ出してゐたのだ。あんなに恋ひこがれた東京へ戻つて来ると、妙な事には、時々ノボオシビルスクの夢を見て、涙を流してゐる時があつた。濠洲兵は、直吉に並んで黄いろい木柵によりかゝつて、頬杖ついて、呆んやりと、十字路を流れる人波を見てゐた。何を考へてゐるのだらう。見るともなく見てゐると、まだ若いぴちぴちした兵隊だつた。無邪気な表情である。鼻つきといひ、眼のくぼみといひ、横顔が仲々の美男子であつた。濠洲兵は、貧相な日本人に注意されてゐるのを知ると、ふつと、直吉の方へ視線を向けて、何の表情もなく、さつと人波の中へまぎれ込んで行つた。直吉は兵隊の視線を受けて、突差に笑ひかけようとしたが、何と云ふ事もなく、ノボオシビルスクの、ソ連の少年の眼を思ひ出してゐたのだ。どうにも仕様のない、民族的な一種の卑下を、直吉は、これは宿命なのだと思はないわけにはゆかなかつた。笑ひかけた微笑の眼のやりばに困つて、直吉は前よりも不機嫌で木柵に凭れてゐた。もう眼は何も見てゐなかつた。暫くすると、またアメリ
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